| 2014年12月01日(月) |
12月のジェットストリーム |
少なからぬ受験生や、 会社に強要されて入社試験や昇進のために 資格取得や英語の学習を行っている人が、
「明確な目的なく、学ぶ」
そういう状況に陥っている(?)、 といった姿を想像されるとよいでしょう。 こうして
「明確な目的なく、学ぶ」
ことによって、 日本全体でどれだけの時間が空費されて いるのかを考えると恐ろしくもあります。 何かを学ぼうとする際、 やはり、まず最初に行うべきは、
「何のために、誰のために、 それを学ぼうとするのか」
という問いを立てることではないでしょうか。
以下、鏡リュウジさんサイトからひろいもの。
値札を外すというのは、広く開かれた市場の商品ではなく、どこか別のところからやってきたモノであるということを表象する一種の儀式でもあるのだろう。 そう考えると、クリスマスプレゼントの古い歴史を想い起こさざるを得ない。 クリスマスにプレゼントをもってくる「サンタクロース」は何もキリスト教だけのものではない。
イギリスには、土星の神サトウルヌスをその前身とするファーザー・クリスマスがいる。フランスやスイスでは、女性の姿で表彰されるマダム・ノエルがいる。イタリアではなんと、魔女べファーナが子供たちにお菓子を運んでくるというのだ。
こうしたギフトギバーたちは、すべからく、異界からギフトを持ってくる。それは「買ってきた」ものではなく、ほかの世界からもたらされるものなのである。
クリスマスの起源は、これもよく知られているようにキリスト教起源ではない。聖書には12月25日がイエスの誕生日だなどとは書かれていない。クリスマスが12月に祝われるようになったのは実に4世紀に入ってからのことなのだ。
諸説はあるものの、多くの歴史家がいうにはもともとは冬至の祭りだったのである。昼が短くなり、夜がもっとも長くなるとき。太陽の信仰にもとづく、光の死と再生を祈念する祝祭が行われていた。
ローマで有名なのは、のちに皇帝崇拝とも結びつく「不滅の太陽」の祝祭で、これは12月25日だったという。こうした祝祭がキリスト教と混淆してクリスマスが成立してゆく。(中略)
いかに商業化されようが、「値札を外そう」という小さな気持ちの魔法が行われていることは、贈り物にはいまだに、異界からの恵みでありこの世のものではない、軽量化しにくい価値へと転換させようとする、古い古い意図がそこにこめられていることを示す
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