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2003年03月06日(木) だらだら思う


 それが良くも悪くも、ひっそりと読んでもらえたら十分だと思うのが日々雑記で、ここぞ一発と思って書き出したモノに対しては、ひっそりでなくても良いのかな程度だと思う。

 何かについて書いたモノを読んだ感想が、書き出した者との思惑と違ったりするのはよくあることで、まるっきり同じ思いを伝えようとか受け取ろうってのは絶対出来ない。
 読み込み違いだったりその人の環境のせいだったりと色々と違える要素のほかに、人が書き出した物に対してではなく、その人に向けての感想になってしまっていたりする。
 本屋にて立ち読み程度の斜め読みだったら、そこまで熱くはならないだろうよ、と思わせる展開を見せるのもこれまたネットの書き手、読み手だったり。そこがまた、客観的に見ていると興味をそそられるのだけれど。
 三面記事的な(いや、それ以前の)ヤリトリが記されているモノを見つけ「わあ、厭だ 厭だ」とぶつぶつ言いながら(わりと嬉々として)読み進めて、それでは飽き足らず過去ログまで遡って読み返したりしちゃうのは、きっとそういう部分がわたしにはあるからだ。
 そこは既に、その書かれたモノでなく、書いた人物を対象(文章だけで勝手の想像し作り上げた人物)に感情を持ってしまっているし、その持った感情で次への展開を期待してしまっている。

 本人の思惑以外の部分が、期待されている部分だということを知られないように、出来たらひっそりと見ていたい。

 好きなサイト、嫌いなサイトと分けたとしたら絶対に嫌いなサイトの部類に入るのだろうけれど、『嫌い=見ない』というのとは又違っている。嫌いだけども、読みに行くサイトもある。

 大好きなサイトだから、よく行くサイトを自サイトからリンクをするのは良く判る。

 もし、わたしと同じような気持ちの人が居たとして、よく見に行くサイトだからという理由で嫌いなサイトもリンクをはるのだろうか。それとも、自サイトに嫌いなサイトとの関連を生み出すのさえ嫌うのだろうか。
 自分がネットカフェからでも使えるようにと、自サイトからのリンクは大好きなサイトを挙げたのだけれども、もしかするとわたしは使い勝手良いようにと、そういうサイトもつい、リンクしてしまいそうになるのだろうか。

 好きなサイトと同じ表記にしてしまうには、忍びない。
 さりとて違う枠での表記では、これまた自分可愛いさで出来ない。

 でもね、こんなサイトが好きですと伝えたい気持ちと同じぐらいに、こんなサイトが嫌いですとその時の自分を判ってもらえる要素の一つとして表記したいと思うときもある。それはちょっと他人の褌なところだけれど。
 (思いついたことを書き出すこの日々雑記で、読み手に理解してもらおうと思うことなんてあるのか?というのはさておいて)

 文字でのヤリトリも無く、ましてや膝を突き合わせて話を交わしたことなんて全く無い他人の書いた文章に「好きだ、嫌いだ」と感想の持てる読みは止められない。




 『ここに来てくれる人が、たった一人になったとしても、わたしはその一人のためにサイトを続けます』みたいなことがTOP頁に書かれていたサイトがあった。
 単純に「凄いなあ」と、思った。
 誰かのために続けるサイトってものあるんだ と。
 やっぱり最期は、白いマイクをそっと置くのだろうか。

 あ、ここはわたしが好き勝手に、のんべんだらりと続いています。



香月七虹 |HomePage