管理日誌「庭園の午後」
午後の庭園
/ノベルウッド
共通
もくじ|前の日記|次の日記
2001年03月26日(月) |
読みやすい小説ページ |
大幅にサイトの構造を見直した。 余計なあいさつ文をトップから削除して、いきなり本文に。 更新履歴をどこに出すか全く考えてなかったので、 そのためのスペースがないという参った現実もありつつ まあ、前よりは使えるっぽい内容にできたかな、と思う。 単にページが重くなっただけという気もするけど(^o^;A
【小説掲載ページのサンプル】を作ってみた。 スタイルシートを使用したバージョンから。 最近のネットワーカーの大半は、アクセスログの統計などを参照すると スタイルシート対応済みのブラウザでネットサーフィンしている。
もちろん、中には対応してないユーザーというのもいるので これにも同時に対応できれば言うことはないが あるていど下位環境を切り捨てていくことも大切だ。 上位環境を基礎として、可能であれば下位環境にも対応するのが良いかな。
そう思ったので、スタイルシートが全く使えなくても、 それなりに読みやすいものにできたかなと思う。 問題があるとすれば、テキストの両端にマージンがあかないことだけど それはウィンドーサイズを縮小して対応してもらうということで。
そのようにして暫定的に完成したページが 作ってる本人の私にとって「読みやすい」かというと 実は読みにくい。
私はギッシリ書いてある紙面のほうが読みやすいし パラグラフ間のスペースがあると逆に読みにくく感じる。 パラグラフの間があいてて読みやすいのは英文の時だけ。
HTMLがもともと欧文を表示するために開発されてるので 日本語の表示については、実はかなり未熟なのではないかと思う。 日本語ならやはり縦書きであろうという人もいるが、 それは確かに読みやすくはある。 しかしウィンドーの縦サイズをアジャストすることができない以上 なかなか難しい。
ウィンドウズのユーザーはびっくりするぐらいの高頻度で 全画面表示しているが マックユーザーは全画面表示なんて滅多にしない気がする。 OSの仕様の差によるものだろう。 ウィンドウズはタスクバーがあるので全画面にウィンドーを開いても さほど不便がないが マックはデスクトップをクリックしてFinderに戻ったり 別のアプリが開いてる窓をクリックして、 アプリケーションの切り替えやウィンドーの切り替えをするのが 一般的なオペレーションなので、 非アクティブ状態の別の窓が、アクティブになっている窓の後ろに 見えていないと使いにくい。 マックユーザーがどれくらいのウインドーサイズで ブラウジングしているかは、なるべくなら考えたくない話題だ。 眩暈がしてくる(^_^;)
ウィンドウズだけでサイトを作ってる人のページは マックで見ると猛烈なハイ・コントラストになってる時があるが ウィンドウズから見ると、それほどでもないことが多い。 デザイナの間で、ヘボくせー色合いのことを 「Winで塗ったような」と表現してたことがあったが はるか以前、デザイン系の人にはWinマシンが ものすごく使いにくいハードだった時代に、 見た目に頓着しない系統の人たちが好んでWin機を使用していたりしたので、 表示系のセンスに劣るOSであったりもしたのだろう。 パソゲーの色はまた特殊やしね。
たまにコントラストが異常に低くて、 文字と背景色の違いがほとんどないようなページがあり 「神経を疑う」とか「どんなモニタ使っとんねん」なんて 悪し様に言われてたりするが。 マックからはわりと普通に見える。ちょっと淡いかな、という程度。 それも知らんと悪し様にいう連中にはムカっとくる。 視野狭窄め(-_-;) 他人を馬鹿にするまえに自分を疑え! なんも知らんと、多数派をカサに来てマイノリティを押し切るというのは 知っててやってるのと違って、アホっぽく感じちゃう。 (知っててやってるなら何とも思わない。なぜ? 責任能力の問題か?)
ともかくそういう表示環境の差があるのは確かなので マックでホームページを作る人は、気持ちコントラスト高めに。 Winで作るときは、あまりハイ・コントラストにすると 物知らずで(あるいはWin環境を受け入れない)スノッブなマックユーザーから 陰で「だっせーんだヨ」と嘲笑される可能性もあるので注意。
あまり問題視しなくても、マックはいずれ滅亡する、という説もある。 私もそう思わなくもないが、マックが好きなので 頑張れアップル、とシミジミ思う。 ちなみに、私のごく個人的な色彩感覚から眺めると、 マックでブラウズして「センスいいな」と思えるデザインのウェブサイトって アマチュアの小説サイトには滅多にない。 たまにあるとすれば、ウェブ製作を仕事として経験した人の趣味サイトとかだ。
私にとって「読みやすい」小説ページというのは デザインが美しいページのことだ。 このセンスのいい人が書いた小説を読んでみたい、という気分になる。 デザインがヘボいと、このセンスのない人の小説はきっと 「美しくないだろう」と耽美的な性分の私は興味を失う。
読みやすい=アトラクティブ と考えると、今回作ったサンプルは「読みにくい」 小説サイトが読者を獲得する最初にして最大の難関は 最初の1行を読み始めるまでだと感じるので、 紙面がどうこう、行間がどうこう、というより以前に サイトのアトラクティブな雰囲気作りのほうが重要だと思う。
でも、デザイン関連のページでもない小説サイトを そこまで飾り立てる必要があるかというと、ないとも思う。 少なくとも私はやってられん(-_-;; 自己矛盾だと思うけど、見る立場と作る立場の都合の違いだ。
完璧を目指して1ページもアップできないというのでは 結局なにもしてないのと同じコト。 ヘボかろうが読みにくかろうが、品質の高い内容のものを 毎日のようにアップしてくるサイトは それだけで充分にアトラクティブであるというのも結論のひとつ。 自分にできることや得意な分野で、作品の魅力をアピールすることが大切。 読みたいと思える作品を擁してるサイトは、 多くの欠点を持ってたとしても、どこかが必ず傑出してる。 欠点を削るのに血道をあげるより、魅力をつけることに熱心なほうが成功する。 恋愛と同じかもしんない。
完璧を目指すと成功から遠ざかる。パラドックスだが本当だ。 この世にはパーフェクト・ワールドなど無いのだから。 ……っつったのは、ケビン・コスナーだったっけ(^_^;)
もくじ|前の日記|次の日記
|