小郷さんのほがらか日記
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ぼにゃりぼにゃりしておったらヒトツキ経ってしまいました。なんたる…!
そんなわけで、3月21日に百花沙里さんを見送ってきました。
当日の朝はまさしく 春の嵐 で首都圏交通網がほぼ全麻痺という惨状に本気で肝が冷えましたが、なんとか入も間に合い日比谷を盛大に笑いで包み(いや笑われるのってどうなんだろう)大楽も観せてもらえて極寒の中パレードを見守りフェアウェルでバイバイという正しいスケジュールをこなしてきました。
終わってからはまぁこんなもんかと思いつつ日に日にぽっかり開いた心の穴が広がり呆然とすることもありながら、一分一秒と思い出が遠くになってゆくんだなぁとしんみりとしております。いやー…案外ね、予想以上にダメージ大きいのね(笑)。 13年も観続け描き続けてきた人なので、もうあの舞台にいない・現役姿を描くこともないと思うとそりゃもう寂しくて仕方がない。当然。あと退団発表日の第一声【楽になれる】もその通りで確かに心は軽くなった。ずうっと体についていたかさぶたは自分の一部でもあったので、落ちて軽くはなったけれどやっぱりその痕が寂しいみたいです。
日記にも何かこう気の利いた言葉で贈る言葉なんかを書いておきたかったんですが、どうにもこうにも言葉が出てこないまま。本人に対しても結局ちゃんとお別れの手紙もしたためることもできなかったのはアレだったかなぁという気もしてましたが、一ヶ月経った今ですら言葉が出てこないものはしょうがないんだなぁと。でも振っても叩いても出てこないんだけど何かがあることはわかる。私はこのまま固い殻の中に入ったよくわからない何かを、体の中でコロンコロンさせながら年をとってゆくのかなぁと思います。いつか割れて中身が出た時が、私が百花沙里から卒業できる時なのかもしれん。
媒体に出すにもそんな調子だったので茶会やら食事会やらで本人目の前にして何かを言おうとしても口が動かずボウとしてました、今考えると末期(笑)。そのせいで茶会の見送りでは握手しながら「……がんばれよ」「おまえもな…!」と男の友情を、食事会ではムーディーな音楽が流れる別室で「ほら、アタシに言っておくことあるんでしょ、言っちゃいなよ二人きりなんだしさ…」とツーショ撮影係の前で(二人っきりじゃないじゃん)そんなことを囁かれ変な気分になりつつ「…愛してるとか言えばいいんスか」「なんでそう投げやりなのよ!」的な話しかしていない。皆そんなもんなのか?いやそんなことはないはずだ。 …なんつうか、私も大概ツンデレですが先方もツンデレと気づかないくらいのひどいツンデレなので(笑)少しでもテレが入ってしまうとこうなってしまうのだと後から分析しています。ムラとか東宝の稽古待ちなんかで二人になったときは結構イイ事言ってたような気がするんだけどな(小首かしげ)。そんなふうに最後の最後までどうでもいいやりとりをし続けた百花ファン人生でした。あの時期でも【いつもどおり】であったことは幸せなことだと思います。
あとはあれやな、大楽の出がトップの退団なみに相当押してしまい時間がなくなったフェアウェルパーリーでさらっとテーブルに廻ってきたときに交わした(というか言われた)言葉が「ん、あとでね!」で、その“あとで”がないままホントにサラバイバイしてしまいファン一同呆然と終わってしまったのが唯一の心残りでしょうか(笑)。当人は見送りをやるつもりだったんでしょうけど実際にそんなことしたら三日かかってしまうよね。最後の最後でやってくれた感はありますが(笑)その詰めの甘さすらも“らしい”かなと思えば美しい思い出になるかもしれない(んんどうだろう)。いやぁーでも最後の言葉が「あとでね!」はないよな(笑)。
と、一ヶ月経った現況はこんな具合にどべーっとしております。 追々思い出等を書き記してゆきたいなぁとは考えてるんですが期待しないで見守っててください。出遅れてるけど毎度恒例のアンケートもしたいのよね…集計っていう言葉を知らないまま数年たってますが10周年だし…慰めてもらいたいし…。な。
また間を開けずに来たい。今日はこんなもんで。
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