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2012年03月19日(月) 引き取ってくれよ!吉本隆明



 十年位前か伊豆か何処かの海で吉本隆明が溺れたと言うニュースを聞いてその時にああまだ生きていたんだなぁと思いだし、どうやら助かったらしいとの風の便りに聞き、また遠く記憶だけの人に戻っていた。
その吉本隆明が亡くなったと産經新聞読売新聞等特集のようなものを組んで記事にしていた。
 吉本隆明を最初に読んだのは二十一の年、理科系から絵描系(ええかけい)に方向転換した春、京都加茂川京阪沿線の桜並木が満開の頃だった。
共同幻想論というなんかおどろおどろしい題名の本だった。国家論、男女間の関係を述べた「対幻想論」位しか記憶に無いが、それをきっかけに、その少し前から、近代文学全集で知った花田清輝の「復興期の精神」というえらく威勢のいい題名の本があって(登場人物は覚えているだけでも多岐に渡り、レオナルド、ジョット、ゴッホ、ゴーギャン、アンデルセン、スピノザ、マキャヴェリ、コペルニクス、コロンブス、ゲーテ、ルター、ダンテ、スウィフト、ルイ十一世、確かレオナルド・ダヴィンチは探偵だったとか、謎の鏡面文字−反対に綴られた文字−を推理していたが、あんなもの日本人でも鏡に映せば直ぐわかると思ったが、鏡が一般的でなかったのかもしれないが、そう書かれていたかどうかは不明)、その著者との論争が面白くそれをきっかけに全著作とはいかなかったがかなり読んだ。

 京都に来て十数年経った頃、京大の西部講堂(今もあるのか、屋根にオリオンの三ツ星の落書き)などで、活動していた映像作家と、某大学の新左翼系の学生運動の親玉のアパートを訪ねた事があった。六畳一間の本だらけの部屋本棚には吉本隆明の全集があった。

 ひとしきり硬軟合わせた世間話をした後、親玉の彼女がやってきた。高校生のようななんの苦悶も経験してないような子供みたいな人で、その時に何だか面食らったような気分になったのを覚えている。

 吉本隆明を読まなくなったきっかけは、鮎川信夫(あゆかわ・しのぶ?ずっと「しのぶ」と思っていたが、「のぶお」かも知れない。三島由紀夫の先生、折口信夫が「信夫」と書いて「しのぶ」と読むのでそれと混同しているかもしれない)との論争だった。それがきっかけで両氏は袂を分かったと記憶している。その時、吉本隆明の冷徹と言うか暖かみのない人柄に、新左翼系に共通する何かが決定的に自分とは合わないと感じて以後読むのをやめた。

 それからまた二十数年、一回読んだ本は二度と読まないのに、積み上げておいておく愚に気がつき、ある時、家人に手伝ってもらい吉本隆明全部、SF小説の類いを寒い冬場、百万遍今出川界隈の古本屋に持ち込んだ。
この時に知った事、駄SF小説類などは、引き取り手が無いから焼却する焼却代を逆にとられると言う事、吉本は引き取ってくれる本屋が無く、思想と言うものは流行り廃りがあって、一旦廃ってしまうと何の価値も古本屋にとって無きものとなってしまうと言う事。何件目かにようやっと二束三文で引き取ってくれた時、この本に書かれていた少しは頭に残っている筈の知識思想はたかだか200円とか300円のものだったかと、空虚な思いに囚われた。そういえば、谷沢永一が思想の本は読むなと何処かで書いていた。

 この人をきっかけに「荒地(詩誌)」を知り、鮎川信夫田村隆一 T・S・エリオットを知ったが、既に亡い。

一時は、吉本500年埴谷(雄高)1000年(残る)と言われたが…なぁ。


かって南フランス滞在中に暇にまかせて読んだ奥の細道、その芭蕉の句

 夏草や兵どもが夢の跡





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