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今日、支那の招かざる客(臭・禁屁)が、突然多分、箔を付けるためだけになんと天皇陛下に会いにやってくる。「謁見」と書かなかったのは当人はそんな気持ちは微塵もなく、只々自分が次期の支那の親玉候補(と言っても共産党序列第六位)でその下準備のためだからである。
天皇との謁見はその一ヶ月前から伺いを立てなければならないというルールがあるにもかかわらず、朝貢先で毎度おさわ(小沢)がせ男が勝手に決め(注−首相が決めたとお騒がせ男は言っているようだ−09.12.20)て、強引に宮内庁に異例の妥協をさせた。お騒がせ男はニュースで、「民主主義だろう?」とむっとしていっていた。アホか!天皇はすでに憲法が出来る前から自然に御存在し、憲法民主主義とは何の関係もない。我々が一票で選ぶのとは次元の違う存在であって、後に出来た憲法他で当てはめられるものではない。勘違いも好い加減にしたらいい。
謁見について言えば、例えば隣の会社の部長が、我が会社の会長にあうのに一日前に打診してきて其れが通るよりも破廉恥な出来事で、これで続々と他国がそういうことなら俺も一日前にあわせてくれとごねた場合どうするのか。
全体主義の危機を予感し、その遺書に「ご家族には申し訳なく私怨はないが、公のために行動する」と言って、当時の*社会党の浅沼稲次郎代議士を襲い死に至らしめ、逮捕後、収監され獄中、溶いた歯磨き粉で「七生報国 天皇陛下万才」と壁に書き残し自刃した山口二矢を思い出した。 今山口がいたなら起っただろう。
最後にこういう訳のわからん一党を選んだのは私達である。江戸から明治に移る時、全人口の数パーセントしか武士はいなかった。選挙制度も民主主義も無かった。長州藩の*足軽クラスが役人になってその弊害が汚職や行きすぎた西洋かぶれを作ってしまったが、日本の昔からの規範は守られていた。 小沢の「民主主義だろう!」にはそれがどうしたと返したい。「契約」を言いたいなら、日本にも昔から「契約」は有るのだ。 もう一度言う。現政府は「我々日本国民が選んだ」
*社会党…この事件を境にその人気は急速に衰えていき、現在は消滅。ここから新社会党が出来るが社会に与える影響力というよりも笑いものとしての大将?になっている *足軽…士族とは区別される。 足軽は忠誠心に乏しく無秩序でしばしば暴徒化し、多くの社寺、商店等が軒を連ねる京都に跋扈し暴行・略奪をほしいままにすることもあった。 山縣 有朋などは武士を憎んで、軍隊(陸軍)にも日本刀ではなくてサーベルを選んだと言われるくらい武士を嫌っていた。
→2002年の今日のたん譚 プロヴァンスのハーブで
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