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2009年10月09日(金) セント・エルモの火?と山姥(やまんば) 1/2



 7月の末から八月の初め頃、北アルプス北穂高直下の涸沢小屋にいた。友人の遅い山入門の先達として同行した。この時期、涸沢から下は雪があったとしてもごくわずかで、簡易アイゼンを付けたり、山小屋の従業員が階段を切ったりするほどの残雪は無いのが普通で、小屋につくまでにアイゼンを効かせて登るなどというのはついぞ無いことだった。
この時すでに上高地界隈で行方不明者一人の捜索願が出ていた。また高齢者である。

 巷、山岳ガイド地図が売られている。友人にはそれを持ってくるように言って、それで読図してもらおうと思った。が、この「大きなお世話」地図は、どこが危ないとか、鎖場だとか詳しく書き込みはあるが、実際に山の形を読んであの山がどれだとは言えない作りになっている。書き込みが多すぎて等高線が読めない。したがって、読図が出来ない山地図である事に改めて気づいた。

 これを見て、初心者がわかったつもりで入山して、山行く人につられて難度を考えずに岩場に入って遭難する。最近も、奥穂高ジャンダルム辺りで動けなくなって、ヘリコプターが救出に向かったが、尾翼を岩に当て墜落、当人と四人が亡くなっている。

 中年を過ぎて山入門をし夢中になる。が、感性は豊かでも体力は確実に衰えている、若い頃から山に親しんで自分を知っていれば非常事態に際して勘は働く。これは大雪山の遭難でもあったように、生死の分かれ目になる。

 夜、月を見ながら小屋前デッキで友人と飲んでいると、初老が話しかけて来て、「明日は北穂高から涸沢岳、奥穂とやってここに帰って来るがどうだろう」と言うので、山歴を聞いたら初めてだと言う。こちらは心底驚いた。
例へ同行している友人が行きたいと言っても連れては行かない。はっきりいって考え無しの無謀である。やんわりと無茶ですと言って断念させた。多分こういう人が一杯いるのだろう。

 登山はスポーツではない。sportは「気晴らしをする、遊ぶ、楽しむ」が元々の意味だが、さらに語源的に云うと古仏語のportare「荷を担ぐ」の否定形から、desport「荷を担わない、働かない」となって上のSportの意味となった。しかし山の基本は「荷を担ぐ」んである。苦痛を伴うものなのである。そういう意味でもスポーツではないし、現在のスポーツの大半を占める勝敗を競うものでもない。

山は昔、修験者の場であった。映画、剣岳「点の記」で西洋かぶれの*小島烏水が日本で初めて山岳会を作り、勝手に国家大事の測量官達に対抗意識を燃やして剣岳初登頂を目指す。日本人としての目で西洋を見た最期の人と言われた夏目漱石と同様の目を持った測量官達の、
「何のためにただ頂上を目指すんだ?我々が頂を目指すのは仕事のためで、そこから仕事が始まるのだ」

という疑問の言葉は、まさに昔の日本人が持っていた山(自然)に対する感覚だった。

 登山(アルピニズム)は英国発祥で、「勇気」を試され征服欲を満たす。アングロサクソンの持つ特徴とも思える。より困難でより高度な頂への挑戦。もともとは貴族の遊びだった。一方、 同じ英国の中でもウエールズ・スコットランドなどに住むケルト民族には、その土地の特徴、規則性をもった風景を楽しむと言う考え方に基づいたピクチュアレスク(Picturesque)という概念があった。もともとそれは、英国南西部に広がるウエールズに関してのガイド本にも現れ、またそれはケルト主義を表わす本でもあったようだ。
…続く。
→セント・エルモの火?と山姥(やまんば) 2/2



*小島烏水 …日本山岳協会設立者の一人。登山家、文芸批評家、浮世絵研究家、横浜商業学校卒業後、横浜正金銀行に勤務、「文庫」記者として活躍、文芸、社会、人物批評に健筆をふるった。
烏水は明治六年生まれ、漱石は慶応三年生まれ、明治(明治元年は慶応四年)と言う時代がどれほど日本の文化的側面に影響を与えたか.善かれ悪しかれ、形を変えて両者に現れていると思う。






→2007年の今日のたん譚 -これは事件か?-











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