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この前、露助(別に蔑称ではない。アメリカンがメリケン、ホワイトシャツが、ワイシャツと聞こえるがごとく、ルスキー(ロシア人)はロスケ)幕内力士が、覚醒剤をやっていて逮捕され首になった。 続いて他の露助力士も首にされたと聞いて意外な感じがしなかったのは、過去に露助達が、京都の瀟洒なレストランでやったことを目撃していたからだった。
そのレストランは、古い洋館立て(元京都中央電話局庁舎、有形文化財指定・大正十二年建築)で、食堂の天井の高さが四メートル近くあり、広々とした食堂には、一台数百万円はする直径三四十cm位の銅製レコード板式のオルゴール(写真の物は銅ではないようだ)が数台置かれていた。最奥のホールにはグランドピアノが置かれ、時間制で静かな曲が生演奏されていた。今はザールランド(ドイツ)とニューヨークに住んでいる友人がコンビを組んで、ピアノとフルート演奏をしていた。
ある日、ここはコンク貝の刺身がうまかったので、それとそこそこの白ワインを注文し、二人の演奏を聴いていた。 演奏の合間を見て厠に立った。綺麗でひろびろとした厠に入ろうとしたら、でぶやらのっぽやら、屈強な感じのやら、ロシア語を喋る一団と入れ違いになった。観光客の一団と思われた。別にがらが悪いとも感じられない普通の人々で、黙っていれば米国人と間違へたかもしれない。 男用の朝顔の前に立ってびっくりした。
目の前にある棚、洗面台に、飲んだばかりのウオッカの瓶が散乱していた。 多分、露助は、度数の弱いワインやビールでは物足りなかったのだろう、 5、6人でトイレで飲んで、良い気持ちになってまたテーブルに付いたに違い ない。玄関ホール右横にはバーもあるが、そんなことは関係ないらしかった。 たとへ、オクラホマやアイダホから来た田舎者の米国人だとて、バーボンをレストランのトイレに持って入り、集団で飲むという発想はしないだろう。 この時の印象があまりに強烈で以後、露助の民度、指導者層や一般人の性癖をうたぐってかかっている。 相撲取り首事件のちょっと前には、オリンピック開催と同時に、南オセチア独立の肩を持つ露助のグルジア侵攻があった。南オセチアは元グルジアのレスラー上がりのマフィアのおっさんが牛耳っている自治区で、露助の傀儡のような奴らしい。ロシアに成りたがっている。独立支援とは名ばかりで、また露助の悪い癖がはじまった。国連は無力で只々、小沢(おさわ)がせの存在である。 最近は白い中国人(チャガン・マオ?)だと思っている。 ロシアの歴史も中国同様、愛国歴史家が捏造しているしよく似ている。世界はやったもん勝ち。ところで、露助と雲助なんか字が似てないか?
→2003年の今日のたん譚 医者豹変す
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