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2006年12月03日(日) 武勲を祝う島、なんDear閉場、恵まれない「めぐみ」



立て続けに三本映画を見る。

「硫黄島・父親たちの星条旗」
国庫が枯渇するくらいまで、あんな小さな島にも、島の形が変わってしまう程砲弾銃弾浴びせ続けりゃ、誰でも勝てる。
ラバウル方面で活躍した戦闘機乗りの坂井三郎が書いていた。激しい空中戦を終え帰路、島の山をひょいと飛び越え眼前に広がる海を見ると、「ごまを散らしたような無数の艦隊を見た」ときの絶望感が今回の映画にもあった。多勢に無勢。夢想する。ハンデなしで戦ったら勝てた。
硫黄島に関して2003年のたん譚

「Dear 平壌」
平壌と書いて、「ぴょんやん」と読む教育は受けてないので、閉場(へいじょう、漢字はこの方が正しい!?)とよむ。この映画、大阪朝鮮総連の患部?の*おっさん(「_さん」、は敬称、以後敬称拒否)を父に持つ女映画監督が作った、「非道いながらも楽しい我が家」物語。映画は娘のインタビュー形式で、を映す。この首の後ろにたるみを持つが横田めぐみさん他、日本人拉致に加担した機関の親玉の一人だという思いで最後まで見ていた。
 映像をとる娘に「はよ、嫁に行け」と言い、言下に「ただし日本人はあかん」という。このは、現在の自分がどうした訳で、今の日本にいる事になったのか、「無理矢理つれてこられた」との大嘘をいつ言うか、今か今かと待ち続けたがついに言わなかった。制作段階ではあったらしいがカットしたようだ。
例へ無理矢理連れてこられたとしても、戦後自由なんだからとっとと帰ればいいのにそうしないでいるのは他に何かあっての事だろう。

娘は、「アボジ()と私は考えが違う」と言ってインタビューは続く。どう違うかは具体的には言わない。
は、帰国事業で三人の息子達を「治ようせん金主主義貧民狂和酷」に帰すも、せがまれて、以来数十年来続けている北への仕送りの中身で貴重な物の一つが、現在日本で特殊な職業の人達以外、もはや使っていないと思われる普通のただの「鉛筆」であった。日本の小学生でも、削る必要のないシャープペンシルを使ってエンピツを使っている事少ないのではないか。
こんな物(実は鉛筆の製造工程は高度)一つ用意出来ない国に大事な息子を帰してお役に立てるつもりが、帰して以後、人質に取られ、ずっと彼等一族の面倒を見続けている。

 驚く事に、娘のカメラは閉場の中にまで入り、兄達のアパートを撮影している。カメラは十階建て位のアパートの外観を映しだす。そこで奇妙な事に気がついた。次男だかのアパートの窓にだけ,鉄格子のようなものが入っていた。
これはきっとそこの家だけは、のお陰で裕福な事を周囲は知っているがために、本人達も警戒して賊に入られないようにそうしているのだと思えた。

 部屋に入ると広くはないがピアノがあり、の孫はピアノを弾き始める。
ここで館内でヤジが入る。「なんで閉場の一家庭に、ピアノがあるんじゃ!」真っ暗闇の映画館の中は、どうも右斜め前の一団が民団系、たん譚達ををはさみ後ろの一団が総連系のようで、総連系は映画中に演奏される北の歌に合わせて一緒に歌い始める。一種異様な雰囲気だった。
 閉場で、平常ではありえないの何年かぶりの祝賀パーティが開かれる。北各地から集まった親戚縁者に大判振る舞い。党幹部も出席。下品なくらい向かって服右側半分一面勲章だらけで演説、金様に忠誠を誓う。ちなみにこのパーティの費用は自前で二十数万円くらいと説明が入る。何だ、自前か。

 はやがて体調を崩し病気になり、気弱になったか、拉致事件などでちょっとは心が痛んだか、娘に韓国籍にしても良いという。筋金入りも「こんな筈じゃなかった」と思ったとしても、息子達が人質に取られている現在どうしようもない。真実を言えば、次の日から北の息子一家は確実に行方不明になる。

 せめて娘の婿は韓国人(ここでも日本人は認めない)にとおもっても不思議はない。いつでも帰国出来るのに、大嫌いな日本になぜか住み続け、極悪な環境のはずの日本で映画監督になった良い娘を育てられた日本をはみとめない。

 と同じような家族構成の家族がいる。映画「めぐみ」の横田滋さん一家だ。
の娘が撮った「Dier 閉場」を見ると、人んちの娘などどうでもよいのである。とくに敵視(勝手に)している民族の人間なんかほんとにどうでもいいのである。 人間は朝殺しておいて、夕には愛を語る事が出来る。自分はそうではないと思うのは、たまたまその立場にいないからかもしれない。「Dier 閉場」はそう言う事を強く感じさせた。自分がの立場だったら同じようにしていたかもしれない。自由の国であれば、反省謝罪が出来るが、かの国では抹殺粛正を覚悟せねばならない。

 「この映画を作ることができたのは、私自身の成長とともに、家族を客観視できるようになったから」と女監督は語るが、忘れてもらっては困る。多くの差別やなにやかやがあったとしてもなを「日本に生まれ住み育った」環境があってこそ、この映画は出来たのだ。
 

 「めぐみ」
 小さい頃、あんまりに手に負えない悪さをする子に、サーカスがさらいに来るとか、売り飛ばすとかよく周囲の大人が言っていた。子供心に、何か目に見えない恐怖の世界が想像されて戦慄した。何でサーカスなのかは解らないが、口減らしのために、そうした事があったのかもしれない。しかし、この映画はまぎれもない「現実」なのだ。黙って見るべし。
 連れ去られる直前に合唱し、めぐみさん本人がソプラノ独唱した「*流浪の民」の詩の所々、が妙にひっかかる。だが、めぐみさんは流浪ではなく、「拉致」である事は間違いの無い事実なのだ。

映画「めぐみ」に使われている「シーン」の多くは稲川和男さんが撮影し、監督のカナダ人夫妻に欲得なしで提供されている。
(→西村眞悟の時事通信11月28日


流浪の民
         シューマン 石倉小三郎訳

ぶなの森の葉隠れに宴(うたげ)寿ひ(ほがい)賑はしや
松明明く(あかく)照らしつつ木の葉敷きてうついする

これぞ流浪の人の群れ 眼(まなこ)光り髪清ら
ニイルの水に浸されて きららきらら輝けり

燃ゆる火を囲みつつ強く猛き男(おのこ)やすらふ
女立ちて忙しく酒を酌みて差しめぐる

歌い騒ぐその中に南の国恋ふるあり
悩み払う祈言(ねぎごと)を語り告ぐる嫗(おうな)あり
愛し(めぐし)乙女舞ひ出でつ
松明赤く照り渡る
管弦の響き賑はしく 
連れ立ちて舞ひ遊ぶ

既に歌ひ疲れてや 眠りを誘ふ夜の風
慣れし故郷を放たれて 夢に楽土求めたり

東(ひんがし)空の白みては夜の姿かき失せぬ
ねぐら離れ鳥鳴けばいづこ行くか流浪の民
いずこ行くか流浪の民 
いずこ行くか流浪の民
流浪の民


→2003年の今日のたん譚










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