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インドネシア大統領特使、アラムシャ陸軍中将 もし日本があと5年大東亜戦争を続けていたならば恐らく中東まで進出していただろうから、中東諸国ももっと早く独立できたであろうし、日本軍の大変な勢いがアフリカにも伝わって、アフリカ諸国もインドネシアのようにもっと早く独立できただろう。そうすれば、南アフリカも現在のように苦しまずに済んだはずなのだ」 インドネシア、サンパス将軍(東欧大使歴任) 「日本の戦争目的は植民地主義の打倒であった。その目的の大半は達成したが、南アフリカ、アジアにまだ残っている。そんな時に行った××首相演説は、植民地主義打倒の悲願を放棄したことになる。××さんは日本の果たしてきた歴史を踏まえ、A・A(アジア・アフリカ)の悲願を代表して、まだ残る植民地主義を攻撃すべきであった。かつての日本は、スカルノ、ハッタ、バー・モウ、ラウレル・アキノ、汪兆銘、チャンドラ・ボース等を応援したのに、たった一度の敗戦で大切な目的を忘れてしまったのは遺憾である」 マレーシアのガザリー・シャフェ外相 「日本くらいアジアのために尽くした国はないのに、それを日本の政治家が否定することだ、責任感をもった政治家だったら、次のように言うだろう。 「「その頃、アジア諸国はほとんど欧米の植民地になっていて、独立国はないに等しかった。日本軍は、その欧米の勢力を追い払ったのだ。それに対して、ゲリラやテロで歯向かってきたら、治安を守るために弾圧するのは当然でないか。諸君らは何十年何百年にわたって彼らからどんなひどい仕打ちをこうむった事を忘れたのか?」」と。 終戦後 「日本が太平洋戦争(大東亜戦争)に立ち上がったのは正当防衛であった」と証言した最高司令官マッカーサー元帥は、昭和25年10月にウェーク島においてトルーマン大統領と会見して「東京裁判は誤りだった」と告白。 翌26年、米国上院で「日本が行った戦争は自国の正当防衛のためであり、即ち侵略戦争ではなかった」と証言した 東京裁判ウェッブ裁判長の反省 「東京裁判は誤りであった」 東京裁判、 日本糾弾の急先鋒であった首席検事キーナンの告白 裁判後数年にして「東京裁判はいくつかの重大な誤判を含むのみならず、全体として復讐の感情に駆られた、公正ならざる裁判だつた」 インドのパール判事 「日本は国際法に照らして無罪である」 「大東亜戦争は日本は無罪である。(田中正明著『パール博士の日本無罪論』慧文社)欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人である。 日本の教育書は子弟に「日本は侵略の暴挙をした」「犯罪を犯した」と教えている。 日本の子弟が、歪められた罪悪感を背負って卑屈、退廃に流されてゆくのを、平然と見過ごす訳には行かない。」 英国枢密院顧問官国際法権威ハンキー卿 『戦犯裁判の錯誤』を著わし、裁判官パール氏の主張が絶対に正しいことを、「私は全然疑わない」 英法曹界重鎮FJPビール氏 「東京裁判は戦勝者が敗戦者に加えた野蛮な行為にほかならない。」 英国国際法で有名な W・フリードマン教授 国会議員であり、王室弁護士R・T・パジョット博士等、皆パール博士を支持した。ロンドン世界事情研究所監修『世界情勢年鑑』(1950)は東京裁判を解説し、パール判定が正論であることを裏付 アメリカのチャールス・ベアート博士歴史学政治 『ルーズベルト大統領と1941年戦争の形態と実際の研究』を著しその中で、日本が真珠湾を攻撃するより数ヶ月前に、ルーズベルト大統領はアメリカ軍部をして、海外駐屯軍に秘密に軍事行動を指令したと発表し、パール博士の指摘した点を裏づけた。 米国、国際政治評論家ラティモア氏 「白人の侵略の終着点」 「日露戦争の勝利が有色民族解放運動の出発点であり、終着点はまさしく大東亜戦争であった。」 仏大統領ドゴール 「シンガポールの陥落は、白人の植民地主義の長い歴史の終焉(しゅうえん)を意味する。」 プラモード元タイ首相 「日本は独立の母である」と感謝 「日本のお陰でアジア諸国は全て独立した。日本というお母さんは、難産して母胎を損ねたが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジア諸国民が、米、英と対等に話ができるのは一体誰のお陰であるか、それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。」 ほとんどの日本人が以上を知らない。教科書で教えないからだ。 リメンバーパール判事! →2002年の今日のたん譚上 →2002年の今日のたん譚下
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