目次過去未来


2002年10月15日(火) 17805



 インドネシアのバリで大きなテロと見られる爆破事件が起こった。
インドネシアの独立記念碑には、17805という数字が刻み込まれている。
これは日本の暦である。皇紀2605年8月17日という意味で西暦では書かれていない。なぜか?
 何百年にも渡ってオランダの植民地支配の結果、絶対に有色人種は白人に勝てないと思いこんでいた。その時に、同じ色した日本軍がやってきて、たった8日ほどでオランダを追い出し、さらに負け戦となった大東亜戦争の少なくない日本兵士達が帰還せず、現地に残り、インドネシア独立のために共に戦った。だから、独立記念碑に敬意を表し、西暦では無しに、日本暦すなわち皇紀表記としたのだ。

 当時の捕虜オランダ人は今も怒っている。自分たちオランダ人が350年間にわたって享受してきた“優雅”な植民地支配を、突然“醜い劣等人種”によって打ち砕かれたことへの屈辱感からだ。
この“白人の楽園”喪失の怨みからくる彼らの歪んだ心理を「蘭領東インド抑留所シンドロームという。

 そこでバリへ遊びに行くなーんにも知らない人々。せめてその国と日本のかかわりなどを勉強して行ってくれ。上に書いたような事を基礎知識として行くと、オーストラリア他から遊びに来ているノーテンキ達とはひと味違う国から来たのだという自負が生まれるだろう。
 テレビのインタビューでも何にも応えられない。問題意識や、国家意識が希薄である。自分の身の丈の範囲でいいから、その国の成り立ちくらい知ってくれ。
 かって、日本は、白人の楽園を取り戻すために共に戦った。そうして事はなった。が、白人達は楽園だったことをまだ覚えていて、半世紀が過ぎようとした近年、また白人の楽園(文化的側面で)に、意識的か無意識的か、しようとしているように見える。だからテロはそこを狙ったのだろう。
 こういう時に、毅然たる態度で、意識の表明を出来る手立ては、やっぱり、歴史を知ることなのだ。

 1995年、インドネシアのマスコミは、オランダ女王を迎えるにあたって、次のような意見を載せた。

「日本政府は、1958年に賠償と援助で8億ドルを出してくれた。ハッタ副大統領は“日本軍はインドネシア独立の恩人だから、賠償という名称は不適当だ。独立達成を記念する祝賀金として戴く”と言っていた。日本政府が3年半の占領の分として8億ドル払ってくれたのだから、オランダは350年分の賠償として800億ドル支払うべきだ。それに独立戦争の死者は80万人だから、一人当たりの補償金を1万ドルとすれば80億ドル、10万ドルとすれば800億ドルになる。つまり、オランダは最低1600億ドルぐらいは支払うべきである。その前に、まず女王に謝罪してもらいたい。」

 こういう国に私達は遊びに行っているということを覚えて置いてもいいだろう。











myrte21 |MAILHomePage