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2002年04月28日(日) |
今日は本当の終戦記念日-覚え- |
* ポツダム宣言を受諾した昭和二十年八月十五日に敗戦を迎えた。なぜ、敗戦で終戦ではないのかというと、昭和二十七年の今日まで日本は戦争状態にあったからだ。
*サンフランシスコ講話条約(第一条a) 「日本国と各連合国との間の戦争状態は(中略)この条約が日本国と当該連合 国との間に効力を生ずる日(四月二十八日)に終了する」
戦後7年間の間に米国がGHQ(占領軍司令部)を通じて日本に行った(占領政策)事。
*占領軍は国際法を無視した戦争裁判を設けて指導者を極刑にし、陸海空軍を廃絶
*議会に教育勅語の無効を強制的に決議させ、さらに教育基本法の原案にあった“伝統の尊重”を削らせた。
*日本古来から国民道徳の象徴的存在であった古神道を軍国主義とこじつけて神道を一宗教と断定し神道指令を強制し憲法にまで組み込んだ *国民の中心である天皇の権限をことごとく剥奪し、日本精神、肇国(チョウコク・国を開きはじめること)の歴史の徹底的な破壊を行った。 今なお続いている現行憲法は、米国が作ったものであり、ほとんど改正不可能に近い仕組みを組み込んで強制的に認めさせた。
*占領軍民政局の21人(憲法の専門家は1人もいない)の米国人が、英文でたった一週間でアメリカ、ソ連憲法を適当につぎはぎして作成。
*占領軍による憲法の押し付けは、当時国際法で厳重に禁じられていた。 「これを受け入れなければ天皇の身体の保障をすることはできない!」と日本政府に交換条件。
*英文日本国憲法の翻訳に当たった事に関し白洲次郎日記抜粋。
「『今ニ見テイロ』ト言ッタ気持チ抑ヘ切レスヒソカニ涙ス」 *後のマッカーサー氏語録 当時の首相、吉田茂に。 「日本は未だにあの憲法か。あの憲法では15年以内に日本は内部より亡ぶとはアメリカ人の見方である。アメリカに遠慮せず早く改憲したらよろしかろう。」
*占領軍は「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(戦争についての罪悪感を日本人に植え付けるための宣伝計画)」を徹底して行う。 。 *ラジオで『太平洋戦史』(GHQ制作)を劇化したものを、昭和20年12月9日から、21年2月10日までの、10週間にわたって週1回放送。また『真相はこうだ』の番組も設けて、「日本軍部が、日本軍国主義が悪かった悪かった」と41週流し続けた。 *占領下にあったマスコミ 教育も、占領軍が喜ぶように「悪かったのは日本、悪かったのは軍部」と大合唱して、日本国民一億総懺悔をし、徹底して日本が悪かったと報道強制。
*教育基本法 前文と十一の条文からなる。占領下の昭和二十一年から二 十二年にかけて、GHQ(連合国軍総司令 部)の干渉 歴史と伝統文化を尊重し、家族愛や郷土愛、愛国心をはぐくむという視点を削除。 教育基本法の制定過程では、GHQの 干渉により、日本側原案から「伝統を尊 重」「宗教的情操の涵養」などの字句が削除されたことが、のちに公開された占領文書で明らかになっている。 日本の伝 統的な宗教行事や風俗、習慣を通じた心の教育まで封じ込めようとしたGHQ側の意図がうかがえる。
*昭和二十年十二月十五日にGHQから出されたいわゆる「神道指令」 占領軍は日本の軍隊の精強さは“かんながらの道” にあったとして神道の息の根を止めた。日本人の精神的支柱を引きぬき、占領政策に対して羊の従順さを求めてのこと。
以後の六年八カ月間も、戦争状態は続いていた。日本は完全な主権を認められていなかった(第一条b)。
こ の間に生産された製品には「メード・イン・オキュパイド・ジャパン」と刻印されていた。日本国憲法もこの間に制定・公布された。日本製品はメード・イン・ジャパンとなったが、憲法は手つかずのまま
今日はそういう意味で本当の日本国が主権を回復した、終戦記念・独立記念日なのだ。
▲ 目を少し痛めているので、淡譚よんでくださっている方々、以前より書き込みがへりますが、書いていきます。
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