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2002年03月21日(木) 見過ごしてら!わー危険!!



 文部科学省に答申した「新しい時代における教養教育の在り方について」という中教審(中央教育審議会)の臨時委員の一人、数学者の藤原正彦氏は、次のように言っている。

「今年の四月から小学校では、英語、パソコン、創造性や起業家精神などを教え始めます。どれも小学校では不要です。小学校では、一に国語、二に国語、三、四がなくて五に算数、あとは十以下なのです。…国語こそがすべての知的活動の基礎であり、…国際人になるために、英語よりはるかに大切なものです。」(三月五日/産経)

中教審が言いたい事の要約以下。

「日本人としてのアイデンティティの確立、豊かな情緒や感性の涵養には、和漢洋の古典の教養を改めて重視するとともに、すべての知的活動の基盤となる国語力の育成を、初等教育の基軸として位置付ける必要がある。」
「教養を形成する上で、礼儀・作法をはじめとして型から入ることによって、身体感覚として身に付けられる『修養的教養』は重要な意義を持っている。このためにも、私たちの思考や行動の規範となり、教養の基盤を形成している我が国の生活文化や伝統文化の価値を改めて見直す必要がある」

 幼少年期には、「絵本や昔話の読み聞かせ」「家庭での年中行事や地域の行事への積極的な参加」「子どもに毎日決まった手伝いをさせる」「『我が家の決まり』づくり」などを奨励し、「国語教育を格段に充実する必要がある」として、「名文や詩歌等の素読や暗唱、朗読」「朝の一〇分間読書」などを奨励してゐる。

 これを取り上げたのは産経新聞だけのようだから、世間は多分殆どが知らないだろう。

 かって歴史的仮名遣いの論争で、福田恒存は、例えば、人は漢字を500しか覚えなくても良いと言われれば、500以下しか覚えないのは当然で、人の性として易きに付くと言っている。
 理科で星座を3つしか覚えなくて良いだとか(見上げた夜空は星だらけ)、三桁の計算はしなくて良いだとか(今時子供の年玉は三桁は軽く越えている)。人の覚える能力まで、干渉しようという文部科学省の、寺脇研
は東京大学卒である。出来ない子への哀れみと慈悲らしい。

寺脇研は平成5年から8年の間、広島県の教育長を務め、高校進学希望者は入試で0点でも全員入学できるという「高校全入」政策を押し進めた。その間、広島県の学力は急降下し、国公立大学入試センターで平成2年には全国都道府県中21位だったのが、8年には45位と全国最下位レベルとなった。犯罪を犯す少年の比率は、千人当たり23.9人と全国一位(平成9年)である。こういう失敗をした人が、その責任も追求されずに中央官僚として「ゆとり教育」をさらに押し進めているのだ。











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