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ヤマネの写真集を出している、西村豊の展覧会と講演を聴きに行った。子供は、大人の小指第一関節程の大きさしかない。大人は親指くらい。背中には縦に一筋黒い線がある。これがヤマネの特徴。 (昔、北八が岳を一週間彷徨してさがしたが、ついに見つけることができなかった。) 著者は富士見市に住んでヤマネを撮り続けている。展覧会の写真も、とても愛らしく撮れている。文句無し。 …が、講演の内容はこの手の、環境を大切にする人達にありがちな内容があり、絵描きは絵で、写真家は写真でものを言うべきで、それ以上でも以下でもないと改めて思った。 「みなさん、命に差は?ないのです。ありんこも人の命も…等しく同じなのです」 「小さな生物は滅びかかっています」 てな事を子供達に言うのはまだ良いのだけれど、本当に大の大人(なぜか会場には白髪の老人が目立った)に面と向かってよく言えるなぁと思った。命がみんな等しく価値あるのだったら、ガン細胞もゴキブリも、狂牛病のウィルスもみな、慈しむべき命である。が、それを取捨選択せねばならんのが人間の世界というものだ。 こんなことも言った。「大人が子供の目の前で、ありんこを潰すから子供はそれを見て、潰す」のだそうだ。 はっきり言えるが、そんなことはない。
これは本能に近いものです。カエルに2B(昔売っていた、プリッツェルの半分くらいの長さの爆竹)を突っ込んで爆破したり、ざりがにの両腕もぎってしまったり、これは、男の子の通って来る道です。 山で、鳥を撃ち落とし、首をひねって取り去り、羽を抜き、携帯燃料で、あぶって焼いて食べる。そう言うことをしてきたので、やわな環境保護の戯言を聞くと、しらけてしまう。 逆に言うと、今ほど人に守られている環境や生物はないだろう。これは、余剰のたまものである。金持ちの婦人がすることがなくて、手を出す、慈善事業のようなものだ。
絶滅しようと奮闘しても、アルカーイダや、どぶネズミ、ごきぶりはいなくならない。一方、あっさりとその種が絶滅してしまうものもある。人も、うかとしていられないのだ また、「人に危害を加えるものは別」と言うようなことも言った。これを言い出すと、アメリカやヨーロッパの馬鹿団体のグリンピースのように、自分達の文化尺度を世界基準にしてしまい、「危害を人には加えない上に知能の高い鯨を、なぜ殺して食うか?」という事になって、環境団体が押し寄せる。 展示されている、ヤマネの愛らしい写真を見て、こんな小さな動物はすぐ死んでしまいそうだから、大切にしようと思えば、それで良いのだし、唐揚げにして食ったら美味そうだと思えば、食えばいい。 ある一つの意見をキャンペーンをやって、考えを一つにする必要は全然ない。 極端な結論を言えば、この世は、人が牛耳っているのだ。よかれあしかれそうだ。だとすれば、人が存亡の危機に立たされたとき、その愛すべきものをどうするかによるのだ。わたしゃ食べる! ペットの存在は、本来そうした備蓄食糧の発想から出てきたことがわかっている。食料が安定し、純粋のペットになった。では世界的に、食料が枯渇したらどうする??
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