今都庁の中で仕事をしています。 出納の窓口からこっそりのぞけば、 今なら働くキタがのぞけるかもしれませんw
現地調整とかいうやつです。 公務員の皆様に混じって、ひっそりとお仕事をしております。
しかしあなどるなかれ、必要に迫られた人はすごいですね。 そこの職員さん、Oracle、アクセス、VBAをたしなむですよ。 うーん、プログラマな会社の、へぼ営業より断然詳しいw
すごいな。 見習わないとね。
しかし、平凡ながらも一般的な幸せというものを、 漠然とただその手に出来ると思っていたのですが、 自分から強く強く望まないと(あるいは望んでも) 手に入らないことがわかってしまいまして。
ごくごく普通で、ありふれたそれらを手にすることは、 ごくごく一般的で、ありふれたことだと思ってたのに。
ただ自分は、それらを手に入れたいとか、 欲しくないとかも思ったことがなくて、 一般的であるからこそ、自分もそうなるだろという、 そんな考えしかもっていなかったのです。
けれども、普通とはなにか、と問われ、 自分が想像していた「普通」は自分の手に入ることのないことを知り、
ただ暇さえあれば普通の範疇に入れていない自分の身を、 仕事中であろうと通勤中であろうと関係なく嘆くことしか出来ません。
仕事をしながらも泣いてしまうのに、 なぜわたしは半日以上も会社にいて、終電で帰り、 そうまでして稼いでも、一般的な幸せには遠いと感じてしまうような、 自分の覚悟のなさを、考えのなさを、 やはり暇を惜しんで悲しむしか出来ないのです。
ここ数日は仕事のピークで、自分のことを考える暇すらなかったのは、 返って良かったです。 布団の中で泣く暇もなく、眠りに堕ちるだけ。 朝目が覚めれば、否応なく仕事に終われて終電近くまで働いて、 同じ屋根の下にいる人とすら会話することなく寝てしまう。
休みに入って、色々考えて、 何かが変わればいいと思うのだけれど、 どうなんだろう。
しばらくまだ仕事が忙しいので、 考える時間のない幸運をかみ締めて、 流されるまま仕事をすればいいのかな。
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