プログラマというか、パソコンに携わる仕事は結構辛いのです。 納期厳守、残業はあたりまえ、休日出勤しても代休になるだけ、 給料は安いし、さらにうちの会社は退職金も出ない。 給料に上乗せされてるらしいけど、それでも平均にまだ届かない。
でもその平均ってなんなんでしょう。 そして自分たちだけが辛いと思っていても、 眼鏡屋さん、美容院、歯科で愚痴を聞き出してみれば、 みなさん朝早くから終電間際まで仕事をしていたりする。
わたしは人並みに、旦那より早く家に帰り、 ごはんの一つも作りたいと思っているのだけれども、 結局その「人並み」というのはなんなんだろう。
本当は、すごく下と上しか存在しない数値が、 全体数で割ってみれば「中間」というものを含む集合体のように見え、 結局わたしたちの想像力が、それを存在していると認識しているだけじゃないのだろうか。
その幻想としての「平均」が、幻想としてありえないものだからこそ、 欲しくてしょうがないのじゃないかと、最近そういう想像の袋小路に追い込まれる。
確かにあったとしても、それを選ぶ手段も理由も、 現在のところわたしにはないのだから、 うすらぼんやりとした羨ましいものとして心にそっとおいておくしかない。
待望の文庫化を迎えた横山秀夫氏の「半落ち」は、 妻を殺害した「梶聡一郎」が隠した謎に向かい、 または翻弄される人々の物語でした。
まるで模範的な警察官であり、優しくおだやかだった彼は、 何故妻を殺害したかは明確に語ります。 しかしそれから、警察に自ら出頭するまでの2日間の空白は、 堅く口を閉ざしたまま。
彼は、彼の謎を解き明かそうとする人々に、 「なんのために生きているのですか」と語り、 その謎に触れられること、頑なに拒みます。
仕事に憑かれ、あるいは浸かれ、そして疲れた人々は、 その言葉にひどく狼狽し、困惑します。
そもそも仕事をすることは、生きるためだった筈ですが、 他に目的を持たないわたし達は、その言葉に何故仕事をしているか、 何故生きているかを自問自答させられるのです。
彼が抱える謎は、謎としては難しいものではありません。 しかしそのようなことは物語の価値には一切関係なく、 読後も解決することはない、読み手に与えられた謎がなによりも重要なのでしょう。
話は半落ちから離れますが、今でも胸に突き刺さっている言葉があります。
電車のあの脱線事故の生還者が、 「神様、わたしはこんなところで死ねないんです、という声を聞きました」 と、テレビの中でぽつりと語ったその切ない言葉。
死ねない理由はなんだったのでしょう。 そんなものをわたしは持っていたのでしょうか。 そして、この先持つことが出来るのでしょうか。
もっとも身近で、最大のミステリィかもしれません。
|