■TRASH■

2005年05月22日(日) いのり

ここのところ、友達の相談にのっていました。

色々問題があって、自分はその問題を既に何年も前に経験していて、同じ間違いをして欲しくなくて、何日もかけて話したり怒ったりしたのに、ちっとも聞いてくれませんでした。

そして結局結果が出て、やはり友達は後悔して、


「でもキタも同じことをしたでしょう?」

と。


わたしは人に相談したことなんてなくて、
それでも一人で悩んで、悪いことだってわかっていて、それでも若くて、逃げる事しか考えていなくて、そんな自分勝手なばかだったから、進んでしまったいけない道で、

あの時、叱ってくれる友人がいたら、と
何度も後悔して、それを望んでいたのに。


結局同じような状況で、同じような状態で、
自分だけが叱って止めてあげられる、
そういうことで、過去の自分を救えると思ったのに。


自分が経験しているからといっても、
やはりその人間に経験させるしか、学ぶ方法というのはないのでしょうか。

自分なら救ってあげられるなんて、思い上がりだったのかなぁ。



人は、過去の病気を克服し、技術を開発し、日々進歩していっているのに、
書物から知識を得ても、過去何千、何万人が悩んだ苦悩や心を、そこから学びとれる者はとても少数な気がします。

その人の痛みと自分の痛みが違うなんて、誰が証明できるのでしょう。
その痛みが違っても、それが同じ痛みだと、想像できる心が重要なのに。


でも。


友達は、後悔して、泣いたあとで

そしてまた、元気にやっています。



結局その人間がどうにかするしかないのでしょう。
わたしは、子供の前にレールを引こうとした、だめな親だったのかも知れません。

いくら正しい道でも、
自らが選択し、乗り越えなくては結局なにも学べない生き物なのでしょう。
人は生きている限り、変わっていくしかない生き物だし、人の変化する速度は、その人間によるのでしょう。

なるべく、おせっかいはしないことにしようと、思います。


だけど、祈ることくらいはかまわないでしょう。

願わくば、間違った道を選び、その子がその道を選んだことを嘆くことのないよう。
そして、泣いても、また進みだしてくれることを。


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キタ [MAIL]

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