■TRASH■

2004年10月29日(金) しゅうまつ

週末は珍しく活動的でした。

週の中頃にうちの母親から「なんか筆まめでエラーが出ちゃって、なにも出来ない」というヘルプ電話が来たのですよ。
「Ctrl+Alt+Delで強制終了してー」と答えたら「Altキーがない」とのこと。

うっは、9821の古い方でしたか。
会社の後輩とか、若い子は98シリーズとか知らない子もいるんですよね。
かつては国民標準機だったのに・・・。

話を戻して。
忘れちゃったなーと思いつつ、会社にいたのですぐにネットで調べ「Ctrl+Graph+Delだって」と答えます。
「あ、終了できたー、ありがとうー」と一旦は終わったのですが、「今度は筆まめが立ちあがらなくなったー」と再度ヘルプ。

起動時にエラーが出てることから、ファイル(Iniファイルっぽいぞ)の破損の気がするのですが、再インストールにもメディアがないとのこと。

第一INIファイルの破損だとすると、INIファイルはアンインストールで削除されないので、手動で消さないといけませんが、母に出来るとは思えません。
そもそも、筆まめがINIファイルつかってるかもわかんないし。

(ちなみにINIファイルというのは設定ファイルのことで、使用者の情報を保存しておくファイルです。
使用者の名前とか、最後に使ったウィンドウの大きさ、最大化してたかとかいうような情報まで持っておいてくれて、次回起動した時にその情報を読みだし、使いやすいようにしてくれるのです。

普通のファイルと一緒なんですが、特定のフォーマットになっていて、高速読み書きが可能なんですね。

ただ、強制終了したり、ソフトのバグ等できちんとしたINIファイルの情報の形をしていないと、次回起動時にファイルを読み込もうとしたけれど、ちゃんとした形式になっていないので、ソフトが困ってエラーを出して動作をやめちゃうことがままあるのです。
Eudoraや、Painter、Netscapeなんかがそうでした。

INIファイルがなければ再作成することがほとんどで、消して作り直すことで対応することが良くあります。(やる場合は必ずバックアップをとってください))

ということで、土曜日は旦那の遅い誕生日プレゼントの髭剃りを買いに行ったついでに、筆まめも買ってきました。
さらについでにICOとみんなのゴルフ4も買いました。
Best!シリーズになっていて、お安くなっております。

そのお土産を持って、日曜日は実家に行ってきたわけです。

まずは母親のバイト先のリフォーム会社にいって、壁紙の柄決めです。
社長さんがまるで、我が子の家のリフォームのようにはりきってくれて、サンプル帳を4つも5つも出してくれます。
実際の壁紙のハギレと、貼った写真が載っているので、ハギレを触ってみたり、写真を眺めたり。

絵を描く人なら容易に想像できると思うのですが、「お、この色いい」と思っても、全体に塗ってみると濃すぎたりするんですよね。
結局はいくつか選んだ中から、社長さんがプロの目で良い悪いを判断してもらいました。

しかしありがたいことに、仕事先で貼ってある壁紙からいいなと思ったものをピックアップしていてくれたので、そこらへんをメインに2時間近くかけてようやく決定。

壁紙の張替えだと、前の壁紙がきれいに剥がせるかどうかで、選んだものが使えないこともあるそうですが、選んだものならまず大丈夫でしょう、とのこと。
張替えが楽しみです。

その社長さんに、母親も今日はあがって良いと言われ、そのまま旦那と3人で実家へ帰宅。
食事を採っていないぺこぺこなお腹で、たらふくご馳走になって参りました。

父親が「AB型が来た〜」(父はAB型で、なんだか同じAB型が大好きなのです)と大層上機嫌。

半日煮込んだ豚バラのチャーシュー、その出汁を使ったワンタンスープ、炭火で焼いたサンマに(火鉢が出てましたよ!)、ソースから手作りのピザ、土鍋で炊いたご飯と豪華絢爛。

ちなみに全部父親の作品です。
とーちゃん料理上手。

ご飯を戴いたり、9821じゃない方の、わたしが上げた良いPCの方に(ペン4のXPデスヨ)筆まめをインストールして(あ、古い筆まめ見るの忘れた)、早めに帰宅。

帰り道玄関に飾る花を買ったり(聞くの忘れたけど、なんの花なんだろう・・・?カラーっぽいけど)、のんびりゲームしたりして一日が終わりました。



自分で言うのもなんなんですが、まるでドラマのような、幸せな光景じゃないですか。
まるで、その後に起こる、凄惨な事件を引きたてるかのような、ありふれた、それでいて理想とする平凡というものがあるように錯覚するような日常さで。

けれども、それらは決して自分の手だけで、手に入るものじゃないのです。
マンション買えたのだって、FFばっかりしててお金を使わなかったっていうのもあったけど、実家にお金もいれず、また双方の両親が健康で、自分たちのことだけを考えていれば良かったからだし、

なんの事件にも、天災にもまきこまれなかったから、という、それが当たり前と思われるような、ものすごい幸運の中にいただけのこと。

新潟で地震がありました。

名古屋についで、他のところよりも思い入れのある地です。
好きな作家がいて、好きな漫画家がいて、昔付き合ってた人の出身地で、そこから単身赴任して来ている会社の人がいて、最近出来たFF仲間がいる。

作家の方は日記で無事なことを知り、単身赴任している人は(また偶然新潟に帰っていた)旦那の携帯に連絡があり、FF仲間の安否も(停電していたらしい)連絡を受けた人が書いてくれた掲示板の情報で、無事の確認がとれました。

日曜日の夜には、FF仲間の家の方は電気が通ったということで、ログインしてきたのですが、なんだか心配でたまりません。
食器とか食事を送ろうかということへの問いは、「届かないから」という返事だけで。

本気なのか言っているだけなのか、「【食べ物】ください」との言われたり。

(【】はTab変換という、外国人さんとやりとりするための特殊文字です。日本語版持ってる人には「食べ物」、英語版持っている人には「food」って見えるわけですね。
良く日本語会話でも、遊び的な位置付けで使うのです)

家族もいるでしょうし、被災地に住んでいない彼女もいるわけですから、わたしが心配することじゃないかもしれません。
でも、友達を心配して何が悪いんだー。

こうしてわたしがなんの不都合もなく暮らせているのは、単なる幸運でしかないのです。

大雨の浸水の時なんかは、どことなく他人事だったのですが、考え違いをしていたことを身に染みて思いました。

出来ることはなんでしょう。
無理をするつもりは毛頭ありませんが、やはり伸ばせる手は伸ばしたいと思うのです。

そうすれば、きっと、わたしの好きな人達が困っている時に、きっと誰かが手を伸ばしてくれるに違いないのです。

とりあえず、わずかな募金は済ませました。
でも、まだまだ余震は続き、被害は拡大する一方。
本当に何が出来るんでしょうか。

いろいろ探したいと思います。

http://eq.maido3.com/


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