なんかよくわからないことがあるですよ。 別に答えが欲しい問でもないのだけれど。 だからといって、一人抱えているのは寂しくて。 つらつら綴りたいのです。
お昼ご飯。 一時期ごはんが食べられなくなって、食べ物の匂いすら受け付けなくなってからというもの、ごはんが食べられなくなるのが怖くて、つい必要以上に食べてしまう。
「これだけで足りるんじゃないかな」と思いつつ、余分な一品を買って食べてしまう。 今日は我慢して、買いつつも食べないことに成功はしたんだけど、大抵は我慢するってことで、余計なストレスが貯まって、逆に食べたい気になってしまい、自分で植え付けてしまった脅迫観念に抗えず撃沈してしまう。 食べなければ食べないで、別に大丈夫なのに。
意志が弱いと言えばそうなんだけど、なんだかそれだけじゃないような気がするのです。
他にも、どこで植え付けたんだか、それとも最初からいるのか、自分を追い立てるよく分からないもやもやとしたものがあって、そいつはいっつも体の中から「何かしなくちゃ。残さなきゃ」と、ささやき続ける。
その声がトリガーとなって、編物をして、絵を描き、日記をつづり、そう遠くはない未来に子供を産むのだろう。
もともとは、種の保存とか、そんな名前の欲求じゃなかったのかな、と思う。 遺伝子レベルで組み込まれた、それに抗うことの罪悪感が、体が大きくなり脳が何かを吸収する度に歪曲し、どこかでねじ曲げられて、意味があるのだかないのだかわからない「何か」を残そうとする。
わたしの中に巣くうその何かわからないものは、始終飢えた目で、わけのわからない衝動をつつこうと、膝を抱えて見つめているような気がする。
でもふと考えてしまう。 どう足掻いても、一握りの特別を除いてもって三代の命であるのに、なんで何かを残したいと思うのだろう。 その欲求に心休まる隙もなく、時には何も残せないことを嘆き、あるいは残せたことで満足し、死にゆく人もでるほどに。 何かを残したといっても、それはあくまでヒトの間の問題で、そうたいしたことでもないと思うのに。 いやでも、そのヒトの中で、ヒトの価値観でしか生きられないのだから、やはり大切なことなのかなぁ。
小さな悪魔の声がなければ、もっと自由になれる気がするのだけれども、結局いつだってせかされて、きっと子供を残して死んで行くのだ。 それとも声に抗うために、生かされていることの業から抜け出るために、せめて自分に残せるものを探すのか。
悪魔のささやきに罪悪感を抱かないために。 遺伝子の衝動に打ち勝つために。
あ。 そういえば、タイトルだけ知っていて読んだことのない本。 リチャード・ドーキンスだっけか。 あれに答えは載ってないのかな。 いや、今すぐ答えが欲しいわけじゃないんだけども。
ただ、もやもやとして言葉にならないなにかを、言葉にしてみたいだけなんだと思う。 これも、残したいっていう何かの所為なのかなぁ。 そもそも、何かの所為にしたい自分があるからなのかなぁ。
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