カンカンカン。
歩道橋から続く階段を降りているところで、その音に何か風のようなひょうひょうという音が幽かに混じる。
なんだろう。
夜は22時を回ったところか。 それでもまだ駅から吐き出される人の数は結構なもので、わたしの前でも階段をカンカン言わせている人がいる。
階段を折りきったところで、ひょうひょうの音が、喉から搾り出される声だとわかった。
「救急車を呼んで下さい」
と、その擦れ声からその言葉を聞き取れる位置で、わたしの目の前を歩いていた2人の男性が掛けより、胸を押さえ崩れ落ちようとするおじいさんに「大丈夫ですか、今すぐ救急車呼びますからね」と、左側から支えた。 続く男性も、すぐさまおじいさんの右隣りを支える。
3番手であるわたしは、ただの傍観者。
あっという間に、一人目の男性が消防署に電話をし、救急車の要請をテキパキしていた。 (救急車って何番だっけ?)
現在地を大まかな場所から、細かく絞って説明をしていき (わたしは引越しして一年も経つのに、上手く説明できない)
自分の電話の連絡先を話している。 (自分の携帯の電話番号覚えてないよ)
自分には何が出来るだろうと考え、親に助けを求めることが出来るということをこの時点でようやく思い出す。 母親が昔看護婦だった。 横にすべきか、そうじゃないほうが良いのか、それくらい判断してもらえるかもしれない。 (現場を見ていない場合、そういう判断が望ましくないどころか逆に危険なことは忘れている) しかし、電話には虚しくコール音が繰り返されるだけ。
わたしは、所在なくて逃げ帰ってしまった。
帰ってしまうのは、いけないような気がした。 でも、いる意味が無い。 意味が無いからいちゃいけないのかというと、そうでもないとは思う。 でもいられなかった。
心配なのと、役割がないことに耐えられないのと、あと3分早ければ悩む必要もなかったという意味も無いIFと、あと10分も遅ければ、救急車に運ばれて何事もない帰り道になってたのにという、考える自分が嫌になる仮定と、結局何も出来ない、もし出来る立場にあっても目の前にいる彼のようには出来ないという劣等感と、それからおじいさんが苦しんでいるというのに、いられないという勝手な気持ちから逃げ出してしまったという、罪悪感に似た感情。
なんというか、自分はばかだなぁと再認識。 いろいろ生きてきて知識はつけたけど、結局肝心なことが何一つわかってなくて、こういう状態でどうしたらいいのかわからない。 正解というものはないかもしれないのだけれども、自分の判断基準が出来ていないのが問題だと思う。
ついつい、ぐるぐる悩んで排他的になって。 逃げ込んだウルティマのゲームの中でも、つい攻撃的になってじゃれてきた友達を否定するような会話をして。
寝付けない中眠って、季節外れの蚊にさされて目を覚まし、打ち合わせで客先行って。
眠くて気分は最悪で、打ち合わせで胃が痛い中、鬱々と会社に戻ってメールをチェックしたら、ウルティマ友達がわたしのウルティマのキャラクターの絵をメールで送ってくれていた。 なんか、泣きそうに嬉しかった。
それで急に、悩んでいたことも少し落ち着いてしまった。 悩んでいるというか、悩むことについて考えているというか、なんにせよ休むに似たりの状態から抜け出せて、まぁ結局疑問に対する決着はつかないのだけれども、それでもすごく嬉しいことには変わりなくて。
わからないことは、後回しに考えよう。 忘れるんじゃなくて、わかるようになるまでは思い返して。 そして、悩んだり自己正当化するような判断をしないように自分の指針を立てていけばいいんじゃないか。
自己完結はやってはいけないことだと教わったけど、とりあえず完結しておかないと、前に進めない時もあるということで。
いろいろ学んで、自分に出来ること判断出来ることを増やしていこうと、とりあえずは考えるわけであります。
それに伴って、とりあえず「自分の携帯の電話番号くらいは覚えよう」としみじみ思うのでありました。
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