ちょっと前、テレビで今の人はちゃんと日本語を使えていないという特集をしていた。
なにやらみぐるしくコメンテーターが怒っている姿がおかしい。
今の人が少し前の日本語を正しく使えないのは、親である世代がすでにもうちゃんと使えなくなっていて、さらにその人達が言う正しい日本語やらというものを書いてある本を読まなくなったせいなんだし。
周りが使わないものを、誰がきちんと使えるようになるというのだ。 言葉は生き死にがあるんだから、どうしようもないことなのに。 それなら、そのコメンテーターは、平安時代の言葉しゃべれるかっつーのだ。
ただ問題になっているのは、その言葉が使われているのがごく狭い範囲に限られていることにあるのだと思うのに。 結局その番組だって、探して来たおもしろいコギャル言葉を使ってみたかっただけだろーし。 それを40代とか50代とかにみせて”こんな言葉使いますか?”だって。
そして、そのコミュニティが細分化されて、そこでしか使われない言葉が多すぎるのが問題なのに。 そこを言及しないでどうしようというんだ。 頭に来る。
まぁ、向こう三軒両隣が死語に近い今、ご近所や村の代わりに自分達を存在していい場所にするコミュニティが乱立して、そこ独特の言葉が出来るのはしょうがない。 しかし、それがそこのものだとわりきれない人間が、他に押しつけようとする人間が多くなっているのがいけないと思うのですよ。
そもそもだって、回りが使わない言葉を正しく使えないのはアタリマエ。 それに最近の本だって、言葉というもののチェックは禁止用語とかそういうのにしかされていない節があるし。 少し前の良質な本というものは、絶対ら抜き言葉は許されなかったし間違った用法というものも使われていなかった。 普通の人が普通の言葉で書く本ばっかり売れるからだめ。 テレビだってきれいな言葉を使っているのはごくごく一部のニュース番組くらいだ。
ことあるごとに「”っていうか〜(↑語尾上がり)”って使いますか?」とか「情けは人の為ならずって言葉の意味わかりますか?」とか「的を得たって間違ってるんですけど、どう言うと正しいですか?」とか「全然って”ない”につなげなくちゃいけないんですよ」とか。 結局、そういう言葉を探して、それで他人のあら捜しがしたいだけじゃん。 テレビ局もさいしょっからそう言えば可愛いのに。
なんか久しぶりに頭に来てしまった。 むぅ。
美しい日本語が死んでいくのは悲しいけれど、それはどうしようもないことで、誰も使わなくなれば言葉が死ぬのはあたりまえのことで、絶えず変わっていくのは生き物の宿命だしね。
さよなら、日本語。
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