| 2005年10月09日(日) |
日本食を食べながら・・・ |
おととい電話で話したKさんとそのお友達と、この町にある「京都」というレストランでお昼ご飯を食べた。初めて来たが、「たたみルーム」には靴を脱いで入り、床が掘りごたつのようになっているので、座りやすい。料理も値段のわりには量が多く、なかなかよかった。
ちなみに、アメリカの日本食レストランというと、アメリカ人でもわかりやすい名前がついていて、怪しさが漂うお店もあるが、ここはまあまあいいかも。ちなみになぜ京都かというと、多分この町が京都の亀岡と姉妹都市なので、そこからつけたんだろう。
ところで、このKさんもご主人がここの大学の教授で、多感な年齢の息子さん2人がいる。上の息子さんは来年大学生で、東海岸のアイビーリーグの大学に十分入れるほど優秀らしく、この夏ご主人と息子さんがキャンパス周りをして、ニューハンプシャーにあるダートマスカレッジに絞ったらしい。
もともとイギリス移民のご主人の家族は、同じくニューハンプシャーにある全寮制高校のフィリップスエグゼターからダートマスカレッジか、ボストンにあるMITに行くという伝統があるらしい。ご主人は他の大学に行ったらしいが、ネジャーティに話したら、そういう家庭を羨ましく思ったらしい。
アメリカで大学院に行ったKさんはかなりの教育ママと見えて、優秀な息子さんと衝突することがよくあるという。アメリカで生まれ育った息子さんは今のところ、自分と台湾との結びつきを考えたくないらしく、中国語は話せないし、話すことを「cool(クール←格好いい)じゃない」と言っているらしい。
それはちょうど反抗期で、反抗の対象となっているKさんや、Kさんに関わりある全てのものから離れたいというものだろうから、大学生ぐらいになるとまた変わってくるだろうと私は楽観視している。
というのも、フロリダとニューハンプシャーで日本語を教えていた時に、何人か日本人の母親を持つ学生と会って感じたことがあったからだ。その学生たちは母親から日本語が学べるという大きなチャンスがあったにも関わらず、そのチャンスを失ったという経験があり、普段からお母さんが日本語を教えてくれてれば、という自分たちではどうしようもなかった後悔の念を話してくれることがあった。
その学生たちのお母さんというと、アメリカに溶け込もうという年代なので、日本語を教えようという意識はおそらく今ほど高くない。
その学生たちの何人かは文部科学省のJETプログラムという、日本の中、高で英語を教えながら日本の文化を学ぶというプログラムに参加し、1〜2年日本に滞在している(同時にかなりいい手当てが出る)。
2歳半から5歳までシンシナティにいた梨奈は、日本のお友達とも出会えたし、週1回の補修校にも行けたので、いいタイミングでシンシナティに行ったんだなあと思うことがよくある。と同時に、その学生たちのことを思い出す度に、梨奈にはチャンスを失ったと思われないようにしないといけないと思うのだった。
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