オクラホマ・スティルウォーターから

2003年09月09日(火) 8月は終わったが・・・

 明日、イスマイルとベルナがトルコに帰るので、今日はゴールデンコラルで夕食を共にした。夕食を終えて外に出るとオレンジ色の月のそばに火星が見えた。火星はだいぶ小さくなっている。

 帰ってきてネジャーティは疲れているからか、しばらくして2階に上がり、インターネットで見つけた記事に、水爆の父と呼ばれたエドワード・テラーという科学者が亡くなった、というのがあった。

 関連記事で、広島平和記念資料館の「なぜ広島に原爆が落とされたか」という記事を見ると、広島と長崎に絞られるまでの過程が書かれてあり、終戦の年の4月の段階で投下目標地に17都市が挙げられていたことを知った。その中には、京都、大阪、神戸も含まれていて、いずれかに投下されていたらと思うとぞっとした。

 それは一瞬にして人と町が消えるという恐ろしさが地元で起こり得た、ということだ。それは想像を超える、とか、そんな生易しい言葉では表せない。阪神大震災でさえ、地震という自然がもたらした被害だとわかっていても、人が亡くなり、町が破壊されること、写真で見る戦後の焼け野原や破壊された町が、現実のものとして目の前にあること、喪失感の後に、やはり人は前を向いて立ち直らないといけないことなどを思い知らされたが、震災の被害の何十倍、何百倍もの被害を人間が遭わないといけなかった現実、何の罪もない一般市民が、その時の国際情勢や国益、政府の欲望などに巻き込まれて、一瞬にして何もかも、生命までも破壊されるというのは、悲しみと怒りが吹き上がる。

 その被害をもたらしたのも人間だということ、作った者、使った者がいた、ということだ。ネジャーティとこういう話題になった時に、たまに確かめることがある。例えば、自分の研究が画期的なもので、それがもし軍事転用されて、莫大な利益を生み、国から様々な特権や利益が与えられる、ということがわかった時、その研究をどうするか。例えば市民権をやるから核開発に従事してくれ、などと言われても(そんな話はないが)絶対にそういうことはしないでほしい、と頼んでいる。人の生命と人間が築き上げたものを犠牲にしてまで、研究・開発したものの成果を見ないでほしい。科学に従事する人こそ、倫理観と人としての感覚を忘れてはいけないと思っている。


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