オクラホマ・スティルウォーターから

2003年06月01日(日) 箱から思い出が飛び出してきた・・・

 昨日の夜にコンピューターの周りのものを片付けてたら、ネジャーティが階段の下の物置スペースを片付け始めた。

 ネジャーティも私も学校で使った文献や資料を比較的頑丈なコピー用紙の箱に入れている。私は文献のコピーだけでも2箱分ある(どうしよう、これ)。日本語のクラスのものだけでも1箱ある(この資料を亜里沙さんに見せようと思っていたのに、どこにあるかわからなかった)。その他にも箱があるので一つずつ見ていっていたら、部屋や廊下が引越時のように物であふれていた。

 本など探していたものも見つかり、とても嬉しい。当然のごとく当時の日記や手帳も入っていたが、在学中に書いたものを読んでいくと、当時の気持ちを思い出し、切ない気持ちになったり、ニューヨークに2ヶ月滞在した時の日記を(英語に訳して)読んで、ネジャーティとニューヨークを回った時のことを、そうだったねぇ、そんなこともあったかな、とか言いながら、2人で大笑いしたりした。

 手紙もほとんど全て残していて、全部を読むと大変だが、語学学校に行っていた時にくれた手紙を読んでみた。語学学校に行った最初の4ヶ月は珍しさからか、いろんな友人が手紙をくれていたが、それは最初の頃だけで、4ヵ月後に院での学生生活を始めると、手紙を最後までくれていたのはもちろん母もだが、本当の親友や恩師だった。

 メールアドレスは学校で学生も先生も持っていたので、授業の連絡などメールですでにやり取りしているという状態だったが、学生生活を始めた年はまだ日本ではメールは一般的ではなく、次の年辺りから友人がメールアドレスを持ち出したという状況だった。
 今のように便利なメールがあれば、メールをもらっても次の日には返事ができる状態だが、手紙だと日本から1週間、もし1〜2週間以内で書いたとして、1週間で日本へ、という具合に、返事に3週間〜1ヶ月かかってしまう。

 それはさておき、当時の日記や手紙などを読んで、自分の20代を垣間見た感じがした。自分の置かれた状況の中での人との関わりで、まだ自分の気持ちが左右されている気がした。日本の大学時代の友人との手紙のやり取り、親友とのやり取り、周囲の日本人学生との関わりなど、その当時の、複雑さも伴った気持ちというのはやはり20代という年齢から来ていたものなのだろう。そんな気持ちを本当はどこか別の所で吐露してしまいたい、という気持ちにかられるのだが、それはどこかに持ち出さず、書いてあるところにそのまま置いておこう。

 アメリカに来る前に友人や後輩からもらったプレゼントはまだ健在だ。その一つはコンピューターの横に置いてある。やはり3年弱のフロリダ生活は言葉に言い表せないぐらいいろんなものが凝縮している。

 結局昨日は、というより明け方の4時過ぎまで起きていたが、きりがないので、部屋や廊下が散乱したまま寝て、昼からまた片付けた。

 ネジャーティと私2人で、ダンボール1箱分を処分、他にも箱を入れ替えたりして古いダンボールを処分した。物入れはとてもすっきりして、ネジャーティも満足げ(それでも、コピー用紙の箱が積み上げてある)。

 手紙は小さい箱にまとめて入れて、2階の部屋に持って上がった。


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