大阪のミナミにある解体中の中座が今月9日に焼けて、近くの法善寺横丁にも被害が及んだというニュースには驚いた。
関西以外の方には中座や法善寺横丁がどこかというのはわかりにくいと思うが、大阪といってよくテレビに映る、カニが動いたり、大きいふぐが吊ってあるにぎやかな通りのど真ん中に中座があって、そのちょっと裏手にあるのが法善寺横丁だ。
法善寺横丁を通ったことがあるのは1回だけだ。フロリダ時代の仲間のM君が大阪勤務になって、私が里帰りした冬に、大阪のミナミを案内して、法善寺横丁も歩いた。 名前はとても知られているのだが、どこにあるのか案外知らなくて、こんなところにあったのかとわかった。夫婦善哉のお店もここかぁ、と思いながら、小雨の降る中、石畳の横丁を歩いた。 それが97年の年末か年が明けてからのことで、その時は中座もまだやっていた頃だった。
法善寺横丁というと、私の年代で楽しむにはちょっと若すぎるという、もうちょっと年を重ねないとよさがわからないところなのだが、それでも横丁の町並みというのは、大阪で数少ない、昔の風情が残っているところだ。
大阪というと派手なイメージばかりが先行しているが、大阪市内の、キタ(大阪駅周辺)とミナミ(難波周辺)に挟まれた碁盤の目の町並みというのは本当はもうちょっと静けさをもっていたものだという気がする。その碁盤の目の真ん中で生まれ育って肌で知っている父から戦前の大阪の話を聞いたり、昔の映像を見たりしていくらかの知識を持って、実際に町を歩いて静けさを実感する。
法善寺横丁には多くの関西の芸人に思い入れがあって、復興にも支援を呼びかけている。復興には建物の規制などの問題があるが、市のほうもそれを何とかしようとしている。
町の開発もいいが、人々はやはり昔ながらの風情を残す場所を求めているんだと思う
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