オクラホマ・スティルウォーターから

2002年06月29日(土) オハイオ入り

 泊まったところの隣にマクドナルドともう1つ、Cracker Barrelというレストランがあった。そのレストランはいいなあと思っていたが、時間がなかったので、マクドナルドで買って、トラックを走らせて、トラックの中で食べた。

 昨日オハイオに入ったときには暗かったので景色があまり見えなかったが、今日もいい天気で景色がいい。

 平地がずっと続いていて、小麦畑やコーン畑が広がっている。ペンシルベニアで見た風景だあと懐かしく思いながら走っていた。大学の語学研修でペンシルベニアに行ったときに初めて小麦畑やコーン畑を見た。こういう景色は日本だったら北海道でしか見られないだろう。山の見えない平地が広がっている風景はとても新鮮だ。感激してたら、ネジャーティはこういうのはトルコではよく見られるから、そんなに感動していない。

 州都のコロンブスに近づいてきた。時間があったらコロンブスに住んでるネジャーティの友人でトルコ人のオカン(Okan)にも会いたかったが、オカンに電話した時に、来てほしいと言われた場所も結局よくわからなくて、会えずじまいだった。ネジャーティはオカンに会えたらの話だからあまり期待しないでねと言っていたそうだし、シンシナティーからは車で2時間の距離だし、今日会えなくてもいつでも行けるからとあきらめた。

 コロンブスをすぎて休憩した後、自分が運転することになった。だんだんシンシナティーが近くなってきて、高速沿いに遊園地が見え、きっと梨奈が喜ぶだろうし、いつか行ってみたいなあと思いながら、シンシナティーと郊外を囲む環状線になっているI-275を超えた。今走っているI-71をずっと南下していった。シンシナティーの市に入った。目的地に近づくにつれ、山が多くなり、工場もあったりして、息が詰まりそうになった。こんなところに住むのかなあというのが正直なところだった。

 高速を下りて、一般道を走っていって、アパートの道に入った。その道はアパートしかなく、行き止まりなので、そのアパートの住人しか通らないところだ。アパート群は一見よさそうだったのだが、環境があまりよくないような気がした。そして、3ベッドのアパートを見せてもらったが、家賃の金額を払う価値があるかなあと考えてしまったし、そんなに広く感じないし、バスルームもファンシーじゃなかった。

 オフィスに戻って、契約書にサインをするという段階に入ったときに、ネジャーティがちょっと外で話してもいいですか、と言って私を外に連れ出した。ネジャーティもあまり乗り気じゃないらしい。それで、アパートが気に入らない理由として、2階に上がる階段が急で、私が足の骨に問題があるから、というのでいいかというので、足の骨に問題があるからなんて言わんでいいから、ただ階段がちょっと急で危ないからとか言えばいいやん、て言うたのに、オフィスに戻って同じことをオフィスの人に言っている、、、。言わんでいいっていうねん。アパートを見せてもらうとき、一緒に歩いてたオフィスの人のほうが、足が悪そうやったやん。誰がそんなん信じるねん、、、、などと関西弁が通じたらまくし立てるところだったが、ネジャーティには通じないので心の中で叫んでた。

 とりあえず、火曜日まで取ってもらえますかといって、契約書にサインせずにオフィスを出た。

 とにかくそこから早く出て、どこか泊まるところを探すことにした。日曜日も空いているオフィスがあるアパートの近くに泊まることにした。I−75のExit15付近にはチェーン店を持つモーテルがあって、その一つに泊まることにした。

 日が明るいうちにアパートのいくつかを回った。オフィスはすでに閉まっている時間だったが、どんな環境か見るだけでもいいと思った。回ったところは、山のところのアパートとは環境が大きく異なっていた。
とにかく今日は疲れた。


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