2008年07月01日(火)
 『ワルツ!』 ウルフルズ

もーすっかりここは私のグチかひとりごとをぶつくさ言う、
なんていうかストレス解消の場になってます。

ダークサイドばっかしだし、伝える気ゼロだし、落ちもないだよー(笑)

そしてまぁ今日もひとりごとだ。




あらゆる言葉は解釈の違いを生む要因になる。

前後聞こえてなかったのに、自分に関係のある言葉だけぽーんと
耳に入って来たりするから、結構要注意だ。
英語でよく知ってる単語だけぽんと聴こえるように
自分の話ってわかるもんだしなー。え?なになに?って…


前後の文脈全部拡げれば悪口ではないのに
そこだけ耳にすると「えぇぇ?」ってのは多分
私が思ってるよりいっぱいいっぱいあるよな。

私も粗忽だからな。だいたい基本喋るの苦手だし。
苦手だから一生懸命喋って、喋り過ぎて後悔するとか多い(苦笑)


ごめんね、そういうつもりじゃないんだよ…
て謝ることになる前に(謝るチャンスってこういうのまずないしね)
気を付けましょう。と思いました。


まーでもその、解釈の違いを生む要因にもなるけれど
分りあえるとすごいうれしいものでもある。
伝わるとか、感じあえるのって素敵よねー。

でも違うのもおもしろいと思う。
ほーそういう風に解釈しましたかーと。


特に歌詞の解釈なんか、そういうのがたくさんあって
で、音楽を作るひとは、音楽がとても好きなひとが多くて
言葉にも音楽好き全開だったりする。


例えばPRINCESS PRINCESSの『Diamonds』とかね

>耳で溶けて流れ込む 媚薬たちを閉じこめろ
>コインなんかじゃ売れない 愛をくれてもあげない

このPVはひとりひとり、それぞれの宝物みたいな感じのテーマで
この詩を書いたかなちゃんはキースのポスターにキスをして
大切にギターを抱えて、あぁこのコは本当に愛しているのだなーと
私はなんだかニヤニヤする。うれしいの。

そして多分、完全な共感がある。
すんごいわかるもの。うん。愛をくれてもあげない。


でもこういうは、それを体感してないと全く伝わらないんだなーと
いうことを最近改めて知りました。


そりゃそうだ。

たいていの女の子は、愛とは比較の対象にもならんわな。



こういう言葉を紡ぐひとたちは、音楽がとても好きだ。
そして音楽をとても特別なものだと思っている。
音楽の持つ可能性や力を信じている。

それは彼らが、それをすでに体感しているから、
確実に彼らの中にあって、私にもすでにあって、
だからこそ、そこにグッと来る訳だ。共通理解なんだな。



サッカーみてて、私はサッカー好き全開のプレーをみるとニヤニヤする。
すんごいうれしいの、好きが伝わる瞬間。

新潟の地味な音楽祭の映像でデビュー前の吉田美和ちゃんを
初めてみた時「このひとほんっとうにうたうの好きなんだなー」 
って、私はニヤニヤした。

水野さんの名言「いやぁ、映画って本当にいいもんですね」に、
心底ぐっときて、ちょっとニヤニヤしちゃうひとってたくさんいると思う。

私は映画を他のものに置き換えた方がぴんとくるけどさ。

金子さんが「いやぁ、サッカーって本当にいいもんですね」
ってしみじみ言ったら、もうぐっとくるどころの騒ぎじゃない(笑)



つまりまぁ、なんだ。

こんなの、わかるひとにはわかるし、
わからないひとには絶対わからないよねぇ。



私は何度も音楽に救われてきたけれど、
音楽に救われたことのないひとにそういう気持ちはわかりえない。

そういうのはどうも、音楽が好きとかたくさん聴いているとか
よく知ってるとかとは思ったほど関係のないことらしい。

そりゃそうだ。

私そこそこ映画観てるし好きではあるけれど、
映画好きというよりは「好きな映画」が好きなんであって

水野さんの言葉は、私にとってスペシャルな他のものと重ねて
ぐっとくるんであって、私にとってそこは「映画」じゃない。


むしろ音楽に救われた経験を持つ人間の方が珍しいのかな。

でも私の大好きな小説の中にも、ダンスに救われたという女の子を
自分がボクシングに救われた経験と重ねて理解するシークエンスが
あったりするので、そういうのは色んなひとが色んな特別を
自分の中に持っているのだと私は思っていて

現実逃避に時々似ているけれど、もっと違う根源的な何か

…あーうまくいえないな

親身になってくれる友達の存在を感じた時の気持ちが一番似ているかな
そういうのをいつも感じられるひとは、何かに救済される必要もないし。

そうか「救われる」という気持ちそのものか。
それは書こうとしてもうまくいえないはずだわ。


「気持ちが救われる」という経験の存在の有無。
音楽に限らず。



「好き」が伝わることのうれしさとそういう何かに
「救われた」経験は私にとってとても大切なものである訳だ。


で、わかりあえるだろうと思っていたところで
わかりあえなかったので、私は少しがっかりしたんだな。


例えば、この金子さんのくだりは私の脳内では
×××さんや○○○さんはきっとわかってくれる!
という想定で書いているが、ここで彼らがわかってくれないと
多分とってもがっかりする訳だ。そんな感じ。


あーそうか。
書いてて、自分で自分がわかったら気が済むんだ(笑)


わかりあえたらうれしい。
違ったら、ほほぉと思う。

それは最初からわかってたけど、わかりあえると思ってたのに、
そうじゃなかったから残念だった、が追加されて

でもまぁ、それもまたよし、だわな。

例えば金子さんの話だと、どんなにサッカーが大好きでも
金子さんが誰でどんなひとなのか、どんだけサッカー好きかってのを
激しく分かっていないと共感は得られないもんw


今までの作文はなんだったのかというと
私がここに至るまでのひとりごとでした。




ひとりごとついでにTBSのユーロ決勝の実況なんすけど、
ひとつものすごくものすごく気になったのでぶつくさします。



スペインの素晴らしいパスワークを

『ボールがワルツを踊ります』

と言ったんですよ。



えぇぇ。
なんでやねん。
なんでワルツやねん。


しかも対戦国ドイツだし。


よりによってドイツ発祥のもんで形容するって…
スペインにだって素晴らしい民俗舞踊があるのに。


うー。

どうしても、引っ掛かる。

なんでワルツよー。


私が誇り高きスペイン人だったら…
まー勝ってるし、誉められてるんだから大目にはみるだろうけれど


いやでも例えばこれが日韓戦でさぁ
韓国の文化に日本代表が形容されたら

心が狭い気もするけど、私ならいやだなぁ。
すごくいやだ。


だって変だって。


ブラジルと対戦してて相手側を「ボールがサンバを踊ります」って形容
するとか、アルゼンチンと対戦してて「ボールがタンゴを踊ります」
とか言われるのは、世界中にサンバやタンゴ踊ってる人がいたって
なんか違う気がするよ。私にはすごーく違和感がある。

ダンスに限らずさぁ、例えば

オーストラリアと対戦して日本がカンガルーとか
イタリアと対戦して日本がカンツォーネとか
フランスと対戦して日本がシャンパンの香りとか
言われたら変だって。なんか違うと思う。


お株を奪ってるって意味じゃないだろうし。
ドイツ代表のサッカーがワルツと形容されることはまぁ滅多にないよね。
※この考え方だと、フランスと対戦して日本の方がシャンパンの香りが
 するって言われたらべらぼうにうれしい。


とか考えてたら、試合が終わったら


「ここ音楽の都ウィーンでスペインが」


とかなんとか複数回仰ったので、やっとわかりました。



ウィーンだから?

ウィンナーワルツ?

もしかして前もって考えてた?



えー…。


でもさーなんにしてもワルツはゲルマン文化でしょぉ…。
相手がドイツじゃなかったらこんなに違和感なかったんだけどさ…。



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