2008年01月25日(金)
 『乾杯』 長渕剛

私たちは彼を「のび太くん」と呼んでいた。

10数年前、カシマスタジアムで日韓OB戦があって
カズシさん、水沼さん、ジョージ、戸塚さん、原さんなどなど
85年の日韓戦を戦った当時の日本代表選手が集まった。

私はおじちゃんになっても当時の面影がある彼らのプレーにうはうはして
「みんなで行こう、メキシコ〜♪」なんてうたって、上機嫌だった。


そんな往年のスターがめいっぱいの状態だったので
私はその日彼がプレーしたかどうか覚えていない。

ただチャリティでくじ形式サイン色紙を販売していて
(色紙が封筒に入っていて、買って開けてみないと誰のサインか判らない)
和司さんのサインがどうしても欲しい友人が買った。
たしか1枚200円くらいだったと思う。

封筒の中身は「岡田武史」
ものすごーく読みやすいサインだった。

ぐえーのび太くんかよー

と友人はのたまった。

彼は当時もう日本代表のコーチを勤めていたと思うけれど、
私たちの扱いはそんなもんだった。

もう1枚買う。
開ける。

また岡田武史だった。
大爆笑の中、友人は一挙10枚買うという暴挙に出た。
そしてそのほとんどが岡田武史だった。
本当に大爆笑だった。

どうしても和司さんのサインが欲しいと友人はまだ買おうとしたが
やり取りをみてみかねた原さんが(ブース内で物販に協力していた)
「和司の出してやってー」と封筒の中身を確認して交換してくれた。

余談だけど、水沼さんはその日息子にすねあてを借りてきたそうで
すねあてに平仮名でせがれの名前が書いてあったそうな。
(その息子が今年からプロ選手なんだから月日が経つのは早いなぁ)


色んなスタジアムで見掛けた。
そらへんをぷらぷらしていて、特別なオーラもなく
見付けても「あ、のび太くんだ。」てなもんである。

「サッカー好きのいいにーちゃん」

私たちにとって彼はそういう存在のひとだったのだ。

まさか彼に日本の未来を托すことになろうとは夢にも思わなかった。




山口の華麗なループに浮かれ、失意に沈んだ国立での日韓戦。
翌日、私たちの代表は立て直す余裕もなく中央アジアへ旅立った。
ロスタイムの同点ゴールと、加茂さんの更迭。コーチの、監督代行…

緊急事態に際しても、正直私の心中はなんとも言えない気持ちだった。
なんてゆうか、どうにも頼り無い感じが否めなかったんだもの。
山本くん(って彼もくん付けだなぁ…)が急遽指揮を取ります、
よりも当時の岡田さんははるかに頼り無く思えたんだよ。


彼は私たちには(多分選手たちにも)兄貴的な存在で、
監督って、もうちょっとこう威厳?そういうのないと不安じゃないですか。
身近過ぎたんですよ。


でも、すぐに切り替えた。

現実問題として代表は中央アジアにいて、試合をみても
何かを変える必要性に迫られていたし、あの時は本当に
彼が立つ以外の選択肢がなかったのだからもう托すしかなかった。

そして何より、私は彼を信じようと思ったのだ。

当時の私に彼の能力は全く判断できない。
だから本当にただただ心情的なことなんだけど、身近だったゆえに
ちょっと失礼な話だけれど、私には「仲間」という意識があったのだ。
それこそ、彼は私たちの「代表」だった。

「ドーハの悲劇」のテレビ放送で、彼はスタジオゲストだった。
あの時、涙を浮かべていた彼を私はよく覚えている。
なんともいえない、あの気持ちを確実に共有している。
そして、目標はとてもハッキリしている。

「彼の涙を信じよう。」

心の底からそう思ったんだ。

彼にはハートがある。
私たち同様、いやそれ以上に、サッカーを、日本代表を愛している。
絶対にワールドカップに行きたいはずだ。
そのために、出来うる限りのことをしてくれるはずだ。

全力で彼を支えよう。
国立で、ソウルで。
私たちが付いてるってことを伝えるんだ。


絶望というニュースが流れる中、私は一度も諦めなかった。
国立でUAEと引き分けた直後、友人が私に聞いた。

「本当にソウルに行くの?」

「何言ってんの!?当たり前でしょ。
 ここで私が応援しないでどうすんのよ!?」

あの時の私には、絶対の意思があった。


そしてジョホールバルへ、フランスへ。

歴史上一度しか経験できない初めてのワールドカップ出場という
濃密な旅を共にした。


とにかく私は、彼を信じた。
一蓮托生って、まさにこういうことを言うんだと思う。


心情的にはずいぶん偉くなってしまったし、今では威厳もあるけどw
それでもやっぱり、私にとって彼は一緒に闘った仲間というか
「同志」それは今でも、やっぱりそう思う。


色んな意見があるだろうけれど、その同志が立つっていうんだもの。
私にしてみれば、そりゃヒトハダ脱ぐしかないでしょって感じ?
ここは、もう無条件に、なにはさておき協力します。


私、ものすごーーーくオシムが好きなのよ。だから色々思うよ!本当に。
でも11月の時点で覚悟は決めてたからさ。
なんつーか、腹も座ってるワケですよ。


(11/25の日記から引用)

今すぐに目を覚ましてくれたとしても
2月に指揮を執るなんてどう考えてもむちゃだ。

あのサッカーの完成を本当に楽しみにしていたんだけど…
でも、彼抜きで彼のサッカーを継承できる指導者なんていない。
だったら、ちゃんとビジョンを持って新しい監督を迎えた方がきっといい。

やって来たことは無にはならない。

「日本サッカーの礎を」

その志しだけは忘れないで人選してください。

2月のタイ戦は、元気になったオシムが安心してみてられるような
試合をしなくちゃね。


(引用おわり)


うん。
オシムがやってくれたことは絶対に無にはならない。

そして岡田武史が私の愛した同志である限りは、
日本サッカーのためにマイナスになることをするはずがない。


また、一緒に旅に出るんだね。

とりあえず明日は、国立に行くのがとても楽しみだよ。



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