CORKSCREW Diaries(米国編)
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2006年05月02日(火) The value of independent(21日目)


本当は英語で書くべきなんだろうけど。


昨日みたいなことばかりではなく、
アメリカに来て知る事の出来る、
アメリカと日本の違いを知ってそれを面白く感じることがある。

今日の授業でウチのDr.PATの説明は大体こんな感じった。

アメリカ人は独立性を重んじる。
それは小さい頃から叩き込まれるものであり、
大抵のアメリカ人は、大学入学時等で州の外に出て、
卒業して就職してからは、親からは独立する。
そのまま、二度と故郷に帰らないことも珍しくは無い。
ウチの個人教師に補足してもらったけど、
大学を出ていい歳した若者が親元で暮らすことはあまりないそうだ。
地元の大学に通ったとしても、大学は寄宿舎だし、
卒業したら独立するとのこと。
パラサイトなんて無いんだろうな、そもそもメンタリティ的に。

まあパラサイトの話は書いていて思いついたのだが、
問題は、
親の老後の面倒はどうするんだよ? と言うことで、
さすがにこれは質問した。
答えはあっさり、「老人ホーム」に入る。
と言うことだった。
家族はたまに顔を見に来る、と言うことだった。
これもまた個人教師からの修正によると、
その家庭によって異なる、って言うことなんだが、
この、「The value of independent」という考えは、
全世代にわたって、浸透しているものらしい。
親は親で、子供からは独立する。
子供は子供で独立する。
ドライだなとは、思う。
日本ではこうも行かないだろう。
この辺りは儒教の影響もあるだろう。
韓国ではもっと親と子の関係は密であり、厳しいものがあるだろう。
その辺りの事情を、もう少しだけ詳しく聞いてみたかったのだけれども、
残念ながら時間切れになってしまった。
が、面白い。
ちゃんと伝えられたかは分からないけれど。




もうひとつ。

宗教論争の話を個人教師(もういい加減に個人名を出そう。彼女の名はペイジ。超クールな女性だ。)に言うと、彼女はこうコメントしてくれた。

宗教にも色々とある。
仏教は、まずは世俗の世界で修業を積んで神になる。
言うなれば、下位の層から上位の層へと上がっていく。
イエス・キリストは神の子であり、
神の世界から俗世間に遣わされた。
言わば上位の層から下位の層へと下がってきて、
最後は人間の罪を背負って処刑され、神の世界に召された。
それは上から下へ遣わされるか、
下から上へ上がっていくかの違いでしかなく、
それはまた文化の違いである。
キリスト教に対して敬虔であればこそ、理解するべきである。

ホストマザーは、信仰に対して、
自分自身を厳しく縛りつけすぎているのではないか。
「legalistic」と言う言葉をペイジは教えてくれた。
キリスト教の神は、他の宗教と異なり、我々に命令することは無い。
神は、もっと寛容なものであり、
聖書の読書会に遅れたからと言って、我々を罰したりはしない。
(一度朝の聖書の読書会に遅れそうになったことでトラブルがあった)
「しなければならない」と言う環境に自分を追い込んだのは、彼女自身だ。。
神は万能であり、寛容であり、そのために存在する。




以前にも書いたけれども、
人の心の中には神が存在している。
それは人種とか宗教とか関係はなく。
だからこそ他の宗教を尊重することが必要なのだろう。

ちゃんと伝わっているかどうか分からないが、
こう言ったことを話したことによって、
随分と救われたと思う。
まあしかし、パキスタンならともかくとして(身構えていったってのもあるけど)、
アメリカでこういうことになろうとは。
が、こう言ったこともまた良い勉強。
たしかにしんどいけど。










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