CORKSCREW Diaries(米国編) |
2002年6月23日 釜山−日本 釜山から関空行きの飛行機は大体どの航空会社もお昼前頃に出発する。 従ってどの航空会社を利用しても釜山市内を朝早く出なければならない羽目になる。 最終日は正直こんな風にあって無いようなものであり、正直帰るだけなのだ。 日曜日の早朝(と言っても9時前ぐらいだが)の街は驚くほど静かだった。 一晩明けても昨日のスペイン戦勝利の余韻は残っているみたいで、 未だに「テハーンミングッ!」って叫びながら車走らせてる若者もいる。 徹夜で騒いでいたのかもしれない。 そうやって騒げる若者たちを大変羨ましく思い、 やっぱり醒めているような気がする日本の若者(いちお自分も含む)と比べると韓国の若者は熱い。 韓国に来るたびに僕ら日本人が忘れていたものを思い出すような気にさせられるが、 こういう所をとっても、韓国の人々は日本人には無い物を持っている。(確かにそれは良かったり悪かったりいろいろあるのかもしれないが) 空港には前回と同じくロッテホテルからエアポートバスに乗って向かう。 ワールドカップ開催時と言うこともあり、エアポートバスは帰りもかなり多くの人が乗ってきていた。 東京行きも関西行きも大体似たような時間に便が出ていると言うこともある。 カシウチさんは今回ノースウエストで来ている。集合時間からはやや早めだったのだが、僕の出発に付き合ってもらう。僕も僕で少々集合時間からは遅れてきている。 成田空港の新滑走路の使用開始に伴って就航したらしい。 これで関空からはますます航空会社が離れていくこと必至だ。 関空には本当に頑張って欲しい。でないと東京一極集中化がますます進んでしまう。 全ての旅行が成田経由なんて考えただけでもげっそりする。しかも時間の無駄。 だけど収益とか考えると関空に就航することのメリットは大きくない。大きくは無いのだ。 そう言った現実を突きつけられると哀しくなる。が、とりあえずは今考えることではないか。 初めて見たのだが、ノースはなんと、オーバーブッキング状態になっていた。 変更可能な人には20000円分還元するそうだ。 暇な学生とかなら喜んで滞在期間を延長したりするのだが、社会人ではそうもいかない。 オーバーブッキングで一番始めに締め出されるのは我々格安航空券の旅客だから、 早めにチェックインしたのは結果的にはかなり良かったと言える・・・と思う。 しかしオーバーブッキングかよ〜ノースウエスト、やっぱりアメリカ系は信用出来ないなあと思ったのだった。こちとらアシアナの方は全然人も並んでおらずあっさりとチェックインは終了。 飛行機自体も小さいしね。結構時間がかかった大韓航空とはえらい違いだ。 金海国際空港は多くの人がいた。 3月の時と比べると人は多い。W杯効果って言うものは確実にあるらしい。 わざわざ韓国までサッカー見に来た物好き日本人の僕だが、結構似たような人多かったのかなあ。 なんかホテルも取れんとか言う話もちらっと聞いた。その辺はホテルリョーサワが使える我々は大きい。 多少暑くて寒くてシャワーからお湯出ないけど(笑) 免税店とかを適当に見ていたらすぐに時間は過ぎてしまった。 お土産を買うにしたって、昨日周りに配るお土産とかはみんな買ってしまったからなあ。 スーパーでは100円ぐらいで売ってた韓国海苔も、空港免税店で買おうものなら値段が500円ぐらいする。うお、高いよ。やっぱり免税店はチョコレートを買うぐらいしか使えないのかもしれない。(それでも市内の百貨店で買った方が安いぐらいだが) そうしているうちに出発時間が近づいて搭乗が始まる。 僕はまずは亮佑に電話してお礼を言う。亮佑は眠そうだった。 そしてジョンさんにも別れを告げたくって電話したが、繋がらなかった。 おそらく寝ているのかなあ。最後に話したかったな。 最後にカシウチさんに別れを告げ、そして飛行機に乗る。 釜山は雨が降り始めていた。韓国に敗れて涙を飲んだスペインの涙雨だろうか・・・ ふと飛行場内を見てみると、見慣れない色の飛行機がとまっていた。 よくみるとイベリア航空のエアバス340だ。 イベリア航空がまさか釜山に就航してることなんてあるはずないから、(今は日本にだって来てないのに)これはきっと選手の専用機なのだろう。スペインの選手も空港内にいたのかなあとちょっと思いながら、関空に向けて飛行機は飛び立った。 旅に出ると言うことは、僕にとって勇気を与えてくれることとなりうる。 韓国への旅は、人に触れる旅だ。人に触れることの温かさを体感できる旅だ。 今回もまたいろんな人に出会った。 ジョンさんとの再会も果たした。 PAGODAで授業にも参加した。 韓国の街自体は、もう見慣れてしまって、新鮮味は正直あまり無い。 しかし韓国に行って韓国の人に触れることは、いつ行ってもとても新鮮だ。 その時その時でいろんなものをもたらしてくれる。 次は、いつ行けるかどうかは、もう正直分からない。 3月に訪れた時には、W杯を見に僕は必ず戻ってくる。そう言った。 そして僕は帰ってきた。 けれども次は無い。 無い訳ではないけれども予定は未定だ。 でも僕はまたきっと釜山に戻ってくる。 必ずね。 情熱は約束を守るんだから。 |