なんというか、私はミゲルのことを考えるとわくわくして仕方がないのですが、これは所謂「萌え」という感情よりも「期待」に近いように思えます。
例えば、ミゲルは既にチェーザレのためならば人を殺すことすら厭わない姿勢を明確に見せています。むしろ、それを自分の存在価値としている。ミゲルはある意味、初対面でチェーザレに完全に落とされているのであり、作品が始まる以前に「彼のために出来ないこと」という区分を既に失しているとも考えられます。 しかし、そうは言っても所詮彼らは16歳。ミゲルがチェーザレのために人を殺すにしても、今までの身辺警護という理由だけでなく、まさにチェーザレの野望のため、という部分が強まってくるはずです。そう、例えば10年もしないうちに、恐らくミゲルはチェーザレのためにルクレツィアの夫を殺す。ルクレツィアは、ミゲルにとって今まで相手にしてきた無頼者とは明らかに違うはずです。その時、ミゲルは何を思うのか。 ひょっとしたら、これは通説に過ぎず、惣領版チェーザレでは別解釈が採用される可能性もあります。しかし、これだけに限らず、チェーザレの立場がただの学生でなくなるということは、チェーザレの影であるミゲルの立場そのものも変容してしまうこととイコールです。 ドラマトゥルギーの常套手段と鑑みるなら、恐らくミゲルが「もう一度」チェーザレの影として生きることを決意するエピソードがあるはず。それはつまり、ミゲルに「迷わせる」存在の登場を意味します。その存在はひょっとしたらアンジェロかも知れないし、女性かも知れないし、同胞のユダヤ人かも知れない。 どうにしても、ミゲルがチェーザレを選ぶことは間違いがないのですが、相手がミゲルである以上、ミゲルだけでなくチェーザレの葛藤も描かれるに違いなく、その過程がいかにドラマチックになりうるのかと思うと楽しみでしょうがありません。
また、1492年にレコンキスタが完了すると、スペインはユダヤ人の国外追放令を出します。まあミゲルがこの命令に従う必要は恐らくないのでしょうが、それでも16歳の少年が、己が己であるということ以前に、国家によって存在を否定されることをどれだけ恐ろしく思うかは多少なり想像できます。ユダヤ人である自分が側近であることでチェーザレ、ひいてはボルジア家の不利益になるのではないかと悩むこともあり得るでしょう。 しかし、それでもやはり、ミゲルにはチェーザレの影でい続ける以外の選択肢を選ぶことはないのです。
というふうに、ミゲルに関係することは現時点でもなんとなく予想がつく部分が多く、しかもそれがとびきりドラマチックな素材である。 とにかく、惣領冬実氏にさっさと続きを書いていただきたくて仕方がない、という話。 微力ながら、必ず新刊を買うことでお手伝いさせていただきたいと思います。
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