■2012年08月21日(火) 裏切りの選択
信じるべきか、信じざるべきか。 それが問題だ。
人は変わっていくし、時には裏切るものだと思う。 よく、「今まで信じてきた人を疑う自分が嫌だ」と自己嫌悪に陥る人もいるが、私はそんな風には思わない。 問題が起こってしまった以上は、様々なケースを考えておくべきだと思うだけだ。 何より冷静に判断すべきだが、やはりどうしても主観が伴うのはしかたがない。
信じて裏切られても「それでもいいか」と思えるかどうか。 そう思えないなら、裏切られても大丈夫なように対策をすべきだろう。
今私が直面している問題においては、最悪のケースを考えて準備をすることは、実はたやすい。(多少の労力と時間と費用はかかるが) 裏切りがなければ、準備は無駄になるが、掛け捨ての保険だとでも思えば安いものだ。 言ってみれば、バックアップを取っておくようなもの。
もっとも、これでは本当には“裏切り”とは呼べないのかもしれない。 簡単に推測できるようなものは、既に“予定の範疇”であって、思ってもみなかった災厄ではないのだから。
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