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diary of teo sylvania

2001年08月09日(木)

ナガサキ

8月9日。

この日は、広島の次に長崎が原爆を投下された日だ。
同じく多くの人々が死傷し、今なお残された被爆者、その子孫が放射能の後遺障害で苦しんでいる。

当初、小倉に落とされるべき原爆は、先日の焼夷弾の煙で視界の悪化により、第二目標、長崎に落とされた。被爆を逃れた小倉には、今でも長崎に原爆を落とされた日時になると、黙とうをする人々がいる。

さて、この大虐殺、一つの謎が残っている。

なぜ、二回目が必要だったのか。

当時の日本政府に降伏を促す決定打、戦争を早く終了させるとしても、なぜ二発も必要なのか。一発落とせば、その恐ろしさは日本は思い知る。それなのに、事実は広島、長崎に投下された。
これは、多くの歴史家が少し首をかしげるところである。

昨日、更にこの謎を深めるニュースが流れた。
トルーマン米大統領が1945年7月のポツダム会談で、日本に原爆を投下する方針をチャーチル英首相に打ち明けた際、

「原爆を一発だけしか」

使わない意向を伝えていたことが、スイス連邦公文書館で見つかった文書で明らかになったというものだ。

いまだに公式には戦争早期終結には、原爆投下が必要だったと言う事になっている。

でも、ここらあたりに注目してほしい。

広島に落とされた原爆リトルボーイは、ウラン型。長崎の原爆ファットボーイは、プルトニウム型。それぞれ別のタイプである。しかも、ウラン型は未実験で、プルトニウム型は一回しか実験をしていない。

この日、当時のトルーマン米大統領が敬遠していたソビエトが日本に対して参戦をした。ソビエトも大戦後の世界の主導権をねらっていた。

彼らは、原爆の情報を多く手に入れ、ソビエトに対して圧倒的なインパクトを与えたかっただけではなかろうか・・。


むごい話だけど、これが戦争なんだなとおもう一瞬である。その後の冷戦中の核競争をみれば、これらの二回の原爆は、戦争の終わりのためじゃなく、冷戦の始まりためだったのだのだと思える。



この大戦で亡くなった多くの人々に対してご冥福を祈ります。


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hisa(nabe)

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