西方見聞録...マルコ

 

 

ハンナ・アーレント - 2014年01月16日(木)



昨日は非常勤先が期末試験だったので、試験監督前にふらっと京都シネマ行ってハンナ・アーレントみてきましたよ。水曜で映画1000円ということもあって立ち見でした。立って映画観るなんて子どもの時の「チャーリーブラウンとスヌーピー」以来ですよ。

思考よりも任務を淡々とこなすことを優先させたこと(凡庸な悪)で引き起こされた悲劇としてホロコーストを語るハンナ。その語りによって世論が「炎上」する。どうして世論はあんなに炎上しちゃったかというと「ナチの悪」の特殊性を語ることによって、「悪」を自分の外側に置くことになれていた人々が、自分も悪にはまりうる可能性を、アイヒマンの凡庸さとユダヤ人指導者さえも役割を演じ(ることを強要され)て、悪に加担したという実例から突き付けられ、自分の中の「悪」の可能性に怯えたのではないか。

思考を停止させ、良心よりも役割を淡々と演じてしまう場面って、組織の中とか社会の中で、結構普通にあるんでないか。私は友人が「会社人としての常識」を優先させて、良心に従って行動する友人を非難する言葉を聞いたことがある。そして私は座が乱れることを恐れて、その「会社人としての常識」を重んじる友人に対し、貴女は間違っていると強く思いながら、激しい議論を挑まなかった(軽く疑問を呈しただけで指先が震えた)。

この時、私もまた、良心よりもその場で与えられた自分の役割を演じることを選んだのだ。

ハンナ・アーレントの映画の予想外のヒットは、思考を停止して、この社会で与えられた役割を淡々と演じることで、結構とんでもない方向を目指しているかもしれない私たち自身の状況へのうっすらとした怯えがもたらしているのかなと思った。
怯えてないで思考しよう。思考したら機会をとらえてそれは違うと声をあげよう、そう思わされた帰り道。


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