西方見聞録...マルコ

 

 

コンフォーミティ2013 - 2013年04月25日(木)

 コンフォーミティ、というのはまあ普通『同調行動』と訳される。何のことかというと下記のようなことである。

「複数の人間がいる集団的状況では、人は多数者(多数勢力)の行動や意見の影響を受けやすい。多数者(マジョリティ)の行動や主張を模倣して、それらと同じような行動や主張を意識的あるいは無意識的にしてしまうことを『同調行動(conformity)』という。」

 意識的に、あるいは無意識的に、私たちはマジョリティの行動や主張を模倣してしまう。  

 この場合のマジョリティというのは単純な数のことではなく、「権力」とか「権威」を多く持つ者のこともさす。

 さて、昨年末発足した政権が一番最初に行ったことの一つに高校無償化(正しくは高等学校就学支援金)の対象から朝鮮学校を外すための法律の変更がある。政権発足後のわずか3か月後にその法律は変更され、法的に朝鮮学校のみが就学支援の対象から外された。そしてその政権トップからのGoサインに呼応するかのごとく、各地でヘイトスピーチをまき散らす、在日コリアンをターゲットにした威嚇、街宣行動が吹き荒れている。

 日頃から、在日コリアンの立場からこの社会の在り方を、共に考え発言していた人々の言論を封殺するようなネット上の動きも散見されている。

 たとえば、関西学院大学院教授の金明秀氏へのこのような動き
INTERNATINAL BUSINESS TIMESによる金明秀教授に対する名誉毀損記事など。

 多数者や力のある者の言動は<無意識的にも>人の考え・行動に影響を及ぼす。コンフォーミティに流されずに、この流れの中に立って、自分の頭で考える理性が求められている。私たちはどこに行こうとしているのか?国内の不満を外にそらそうという政権の思惑通りに、世界から孤立する道をめざしてどうするのか。

 あるカテゴリーの人々の発言を封殺することを容認したら、その<カテゴリー>は必ず拡大する。

 「マイノリティの排除が容認される社会では、ゆくゆくマジョリティの排除も容認されかねないゆえに、マイノリティの排除を許すべきではない」(塩原良和著『共に生きる:多民族、多文化社会における対話』弘文堂 P.131)

マイノリティへの迫害はいずれ対象を広げていく社会全体への攻撃である。声を挙げるべき時が「今」であることを肝に銘じたい。
 

 



 


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