むかし・あけぼの - 2013年03月09日(土) さて板友様の間で話題だった「むかしあけぼの(小説枕草子)」(田辺聖子著・角川文庫)読了。 枕草子が執筆されたころの清少納言の毎日はこうだったんでないの、ということが田辺節で語られています。 枕草子って中宮定子とその父道隆ファミリーの没落後にかかれたんだな〜。結構道長全盛の世にこれを書くってのは、骨のあることなんでないの?そりゃ、ものの「おかし」を書きとどめた文学であって政治的なことは書かれていないだろうけど、中宮定子時代の後宮のたのしさ、素晴らしさをたたえたわけでわりと「書物の意味」はいろいろに読み取れそうだ。 「むかし、あけぼの」でも紫式部による枕草子批判や、男たちが清少納言のことを「男を男とも思わず、傲慢にふるまった」とそしる場面がたびたび出てくるけど、こういうミゾジニーっぽい視線を投げつけられるってのは、女一般でなくて、「反体制の女」がされやすいんだな〜と思った(そりゃあ、体制側の女もひょいっと足元をすくわれるだろうけどさ)。 また中宮定子への一条帝への愛が風の中に消えて行ってしまわず、歴史にその存在をとどめたのって清少納言の「文学力」のおかげさまもあるんだろうな、とも思った。 「むかし、あけぼの」と同じ中宮定子のサロンの栄光と衰亡、そして一条帝と中宮定子の愛と別れを描いた小説には円地文子の「なまみこ物語」もある。ちなみにあっちには清少納言は出てこない。そのかわり道長がすごく怖い。一条帝の中宮定子への愛そのものを破壊しようとするお話なわけだけど、こういう道長だったら清少納言の晩年はもっと大変だったかもしれない。田辺節の清少納言の老後はなかなか素敵だと私は思った。 というわけで遅ればせながら、正月読書の感想を(いつの話だ!)風に紛れてしまわないうちに書いておこうと思った。 ...
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