ベルリン1919 - 2012年05月05日(土) あ〜読み終わりました。ベルリン3部作の最後にとっておいた第1作。 いろいろと26年後までこの登場人物たちがどうなってるか知ってるので、なんか意味もなく涙がこみ上げてくる場面がたくさんありました。幼いヘレとマルタとハンスが仲良く(時にはあんまり仲良くなく、でも平和に)留守番している姿にはその後の3人の前に用意されていた運命の過酷さを思うと何度でもどこででも泣けました。また共産主義への期待(ロシア革命の2年後ですよ!1919って)と渇望に彼らは26年後どういう形で報いられるかとか。ハイナーはなぜ1933でも1945でも独身でさすらうのか、その伏線となる悲しい恋(になるかもしれなかった)の話とか。 でも共産党と社会民主党の1933での確執の根の深さが非常にわかりました。そして1933、ひいては1945への悲劇はこんなに早く種がまかれていたのだと。 共産系の勢力が勝ち取った1918年末の皇帝追放ののち、ブルジョア層を基盤にした社会民主勢力の政権への流れがつくられます。社会民主党系の政府と共産党系のスパルタクス団の間で起こった弾圧(社会民主党政府から共産党勢力への)と、武装蜂起(スパルタクス団から政府への)という流血を伴う時代の動きをゲープハルト家の長男少年ヘレの眼を通して描かれます。 それにしても、共産党支持の大規模デモの割とすぐあと、社会民主党系のスローガン「平安と秩序」を叫ぶ人々の群れの間を歩く、まだ若いヘレの父ルディのつぶやいた言葉がまたもや戦慄でした。 「世の中には3種類の人間がいるんだ。ひとつはおもしろければそれでいいという連中だ。彼らは一緒に行進しいざとなれば人も殺す。だがこういう連中は少数だ。二つ目のグループはもう少し数が多い。何が起こっているか理解していない連中さ。殺人者の本性を見抜けず、喝采を送る人たちだ。だがこのグループも数はそんなに多くない。一番多いのが第3グループだ。いわゆるイエスマンだよ。何がおきてるのかちゃんとわかっているのに、わが身大事で口をつぐむ連中だ。この連中が一番厄介なんだ」 そしてルディはこのあとのナチスの時代、口をつぐまず強制収容所に送られたヘレに代わりヘレの娘を育てることになるのだけれど、そのときまさに第3の道を選ばざるを得ない状況になるわけなのですが。 で、とんでもない地方政治家が続々登場してとんでもない地方条例が次々提案されてる現代なわけですが、「シンパ」、「わかってない人」、そして「わかっていながらその状況を許してしまってる多数派」ってのは確かに存在するな〜と思います。わかってても、選べるオールタナティブってのは確かに限定されてるけど、でも幸い、まだわたしたちは収容所に送られたりはしないんだから、へんなことにはヘンって言おう。いろんなチャンネルで。 ツイート ...
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