西方見聞録...マルコ

 

 

耽溺新学期前夜ー成均館 鑑賞記 - 2012年04月06日(金)

 エーっと新学期ですね。皆さん疾走してますか?

 去年の今頃は私は突然無風状態にふっとび、大層安穏としていたのですが、安穏は続けると赤貧になることがわかったので、またしばらく疾走してみようと思い、今期は可能な限り非常勤講師とか学習支援員とか仕事を詰め込んでみました。

 そんで4月のはじめはなんだか疾走前夜のどきどきの不安を紛らわすように、そしていとなんちゃんが悪魔のように貸してくれたトキメキ☆成均館スキャンダルに耽溺いたしました。

 しかしこのタイトル、、恥ずかしいので、以下、成均館、と記述します。

 そんでこの話は女子の学び、もしくは主体的に生きることへの渇望とか、女子による「男の園」潜入記とかいろんな読み方ができると思うのですが、私は下記の2点で思うところを述べて行こうと思います。

1)主人公の原則主義男子のマイノリティ視座を学ぶ旅としての物語
2)性的な消費対象ではなく「中身」を愛されたい女子の渇望

てなかんじで。

1)
 本作の主人公男子は副首相で政界の多数派の長老の息子でその上大変優秀で、成均館という科挙受験予備生として王立研修機関で学んでいるという、これ以上ないほどマジョリティの王道にいる人です。で彼は物凄い原則主義者で原則に照らして不正なことは一切許さないという人物に描かれてます。その原則に忠実であろうとするのは強大な権力を持ってしまっている自分が権力の濫用を抑制し、弱者のために「いいひと」であろう、とする志、のためだ、と男装の女主人公に指摘されます。

 物語の進展とともに、政界における多数派と少数派の軋轢にのみ焦点を当てていれば、各派の融和を謳う王の下、原則の正しい運用で、正義の実行はできるのですが、原則を誠実に運用しているだけでは正しい対処が出来ない(つまり原則の想定外の)困窮者の不利、女性差別、身分差別を友の問題として主人公男子が経験することで、弱者にはなれないながら、弱者の視点で世の中を見る視覚を男主人公が身につけていく物語運びがされます。

 そんな中、男装の女主人公を「男」であると信じた男主人公は自分はゲイなんではないか(ゲイであることは儒教社会では主流にいられないほどのマイナス、として描かれます)、あるいは犯罪加害者の息子なのではないか、という決定的な自己のマイノリティ性を覚悟する場面があるのですが、「な〜んだ、ほんとはゲイじゃなかった、犯罪加害当事者の息子じゃなかった。よかった。」という物語の回収がされるのは少し残念なところ。

 特にゲイに関してはヨリム先輩のキャラクターを本格的ゲイとして造形して、ゲイでナニが悪い、おかしいのはそれを許さぬ制度だ、と描くことも出来たのにな〜と少々残念でした。女性差別に関しては女性を貶める身分差別を大枠にしている制度の問題をしっかり描いているので、とくに。(ヨリム先輩に関しては両班至上主義の問題という論点を含んだキャラクター設定でそちらもストーリーが未回収で終わっていることを公式ガイドブックにて脚本家は嘆いていましたな。)

 犯罪加害者に関しては、直接父親がその陰謀に関わっていなくても構造的な責任は免れない、としていたけどね。

 構造の歪みはマジョリティの側にいては見えにくく、マイノリティ側に身を置き世の中を見ることによってはじめて見える。主人公が視座を移動させることでその構造の歪みを可視化していく物語でありました。

 2)男装の女主人公を男と思っているのに恋して(そして自分はゲイだと思い込んで)しまう男主人公、ってのはなんていうのかな、女を性的に消費しないで「体の外装じゃなくて、内面(心とそこから発せられる言葉)を見てそして恋してくれ」という切なる女願望を満たしていますな。
 また妓生(キーセン)のチョソンが、自分に欲望を抱かない(実は女性の)主人公に恋するくだりは、そんなに性的欲望を向けられるのは苦痛か、女達よ、と切なくなりました。そして、私はまったくそのとおりだと思います。

 この点を男である監督と女性である脚本家の間で認識のずれがあるな〜と感じる場面がありました。監督は公式ガイドブックのP.90 にて男主人公が男装の主人公の唇の動きにむらむらするシーンを自ら演出した、とインタビューに答えています。そこはね、いらなかったですね。脚本家は同じガイドブックのP.86で「男女の感情などではなく(中略)人間対人間として互いに信頼しあっている」ことから生じる愛が「男装した女性の登場するラブストーリーの感動」と述べていますが、男はメスを求め、女は人間でありたいというもう古代から繰り返している男と女の愛の需要と供給のすれ違いをまざまざと見せていただきました。


 最後に、ラストの主人公二人の就業について。

 私だったら特に女性主人公については、公ではなくて私塾(寺子屋みたいな)の教員にして物語を終わらせたと思います。私塾の教員として学問をすることを禁じられたカテゴリーの人々に人間らしく生きるための学び、を提供する姿を描けばいいのにな、と思いました。

(作中、学問とは何かと言うことが様々に描かれるのですが、『学ぶことは生きること。』『学ぶことは世に問いを立てること。』などちょっとうろ覚えですが、金言多数でした。)

 とにかく本作をはじめ名作韓流ドラマは、見出すと止まらない物凄い引きの強いドラマなので、やっぱり老後とか子どもが中学生になったあととか、もうちょっと余暇が確保できるようになってから耽溺しないと身が持たないと思いました。それにしても老後が楽しみです。


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