西方見聞録...マルコ

 

 

正月の読書ー和解のために(グレーゾーンの根気強い発掘作業)ー - 2011年01月07日(金)

 さて、年末年始はなんだか不連続にざわざわと時間が過ぎていくので仕事関係の本はひとまず閉じ、そして、大事な本を読む時間にするのが私には良いようです

 で今年は「和解のために」朴裕河を読みました。

 この本は教科書問題、慰安婦、靖国、独島、とものすごい熱くなりがちなテーマについてて語られています。しかしながら、読み進めていくと、静かなしんとした気持ちになっていくのです。

 日韓関係を語るときあたかもそこには日本と韓国という2つの声が激突しているように語られますが、著者はそこにある多層的で複雑なさまざまな声を丹念に掘り出し「複雑なことを複雑なまま」紹介し、そこにある構造を読み取り理解することを静かに読者に薦め、個人である前に日本人、韓国人というステレオの中に相手と自分を閉じ込める本質主義に陥る愚を語ります。

 もともと韓国に生まれ、日本文学を研究する著者が、韓国国内の人々に向けて、日本国内にある声の多層性、また理解しがたいナショナリストの声が発せられた背景を丹念に紹介することで両国の理解と和解を助けようという意図のもとこの本はかかれました。韓国ではこの本はどのように受け取られたのでしょう。

 またこの本と相似形に編まれるべき、日本の読者向けの、韓国事情を良く知る人による、韓国国内の世論がどういう土壌からどのような多様性をもって発せられているのか、紹介された本が読みたいと、切実に思いました。

 具体的に私には下記の2点の指摘にもはっとさせられました。

1)靖国参拝問題で、「英霊への感謝、敬意を表するための参拝ではなく、心ならずも戦いにかり出され、人殺しを強要された<英霊> に謝罪するための参拝であれば、その祈りは被害者の痛みにも、戦争行為の美化にもつながらないのではないか」という指摘。
2)そして独島(竹島)をめぐる二つの世界から見えた二つの物語を紹介した後、近代の国民国家(領土、国民、主権の3点セットを備えた)誕生以前の『領土問題』の実在への疑義、そして実際モロッコースペイン間やアメリカーカナダ間に前例のある領土権の凍結や共同領有の可能性の指摘。

 この2つの考え方の提示には2国のナショナリズムの激突を解決しうる道を指し示されたようにも感じました。

 マスメディアの報道もネットメディアも日韓問題を語る声はエッジとエッジが切り結ぶような衝撃的なものばかりが流通しやすいですが、静かに語る多様で複雑な声を見落としてはならないと本書を読みながら感じました。

 本書を読んで今から16年前の27歳の春、ケニアから帰国したばかりの私に青年海外協力隊帰国隊員進路支援室からアジア平和国民基金から元慰安婦の方々のライフヒストリーの聞き取り調査への参加を打診されたとき、なぜ飛び込まなかったのか、と再び苦い悔恨を抱きました。評価の定まらない基金への協力におびえ、せっかくつかんだ非常勤講師職を握り締めるのに汲々とし、1年後に控えた夫との結婚という具体的なスケジュールが変更されるのを恐れたのですが、もしあの時あの道を選び、ハルモニへの不完全ながらも謝罪するということがなしえたのであれば、そこにはやはり歴史的な意味はあったかもしれないという思いをはじめて現実的に抱きました。

 和解のために、私たちにできることは何か、深く考えさせる1篇でした。

 お薦め下さったSaffronさん!ありがとう!


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