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なるほど - 2010年05月11日(火) 世の中を流通している「貧困言説」について、お友達のライター社納葉子さんがブログで語ってらっしゃいます。 「貧困」てなんやねん データを取ってそれを云々するヒトって、学歴信仰に嵌っている人がやる場合が多いので、「学歴サイコー」な声が大きく世の中にエコーしちゃうってのは確かにあることだと。 同じようにお金持ちの声は大きく世の中にエコーしやすいので「お金でシアワセー」という声も大きくなりがち。参考サイト では声は大きくなくても、現場で働く尊さやそこにあるシアワセ、ってどうやったら世の中に可視化されるのか。 コミュニティラジオで熱く語る外国人青年の発話分析とかしながら、「声の流通」について考え込む夜明けのマルコでした。 ちょっと追記 掲示板の方に書いたことだけど、掲示板は消えものなので、こっちにも 多様な生き方が許されれば問題ないのだけど 社納さんが書いてるみたいに、問題なのは >「現場」の労働をおとしめ、買い叩いてるひとやら仕組み の強化に「貧困言説」が関与することで結果的に貧困家庭やシングルマザーを虐待予備軍と、ステレオタイプ化して、追い詰めることってあると思う。実際20年間近くシングルマザーとしてお嬢さんを育ててきた社納さんもそういう差別的言辞に傷ついてきたというお話を聞いた。 あと社納さんが他の場所で書いてた阿部彩著の『子どもの貧困』岩波新書184ページに挙げられた子どもの「豊かさ」のスペック(誕生日のお祝い、少なくとも1組の新しい洋服、 お古でない文房具真新しい服一式とか)について下記のように書かれているのだけど =========以下引用========== ある意図をもってつくられた「あたたかい家庭」像に からめとられすぎてるんじゃないか???と思わざるを得ない。 思えば妊娠がわかった瞬間から、「あれ買え、これが必要だ」って 強迫的に消費を迫られる。 子どもが否応なく消費のシステムに組み込まれてるということに対して 「良心的」な学者のみなさんがあまりにも無邪気 ================== 消費奨励の幻想の豊かさを追い求めるあまり目の前の子どものほんとのニーズを見失うてこともたしかにある。 世に大きな声で流通している豊かさ幻想も貧困言説も無批判に受け入れることで >「現場」の労働をおとしめ、買い叩いてるひとやら仕組み に関与していることに注意深くありたい。 ...
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