西方見聞録...マルコ

 

 

走る私と体重の微妙な関係 - 2009年11月22日(日)

 さて夏に博士論文の最終稿を提出した翌日から(正確に言えば8月23日から)毎朝、チョピットずつ走ってきた。どんどん日の出が遅くなってるので朝走る人から夜走る人へとアイデンティティが移行している。その分走行距離を伸ばして、日の出を迎えられるまでは走っているように工夫している。コースもアップダウンが激しい山沿いの道を走るので、夜明けには奈良盆地を一望に出来るポイントに差し掛かり、朝焼けに染まる奈良盆地から二上山、そしてはるか吉野の山々を見渡すことができると大変気持ちがいい。

 このころ走るときのお供のipodで、適当にいろいろ聞いている。ケミストリーの去っていく女に未練を投げかける歌は朝焼けに似合わない。サッチモの「わったワンダフルワールド」は上手く朝焼けポイントに差し掛かるところで流れ始めると気分がいいけど、大抵そんなに上手く流れてこない。ラジオ英会話を録音して聞いているとディクテイションの練習をうっかりして呼吸が乱れる元になるのでこれも結構要注意。特に一息5回とかで使い勝手の良いフレーズを繰り返すスキットはランナーには危険だ。最近よく聞くのはオバマが2004年に行ったケリー大統領候補への応援演説。コレはわりと走りながら効くソフトとしてヒットである。

 で、走ったから体重がおちるか、という話なのだが、走り始めたばかりのころ、2キロ体重がおちてから、なかなか次の3キロ目がおちない。運動している自分に妙な満足感を覚えて、間食する時も「まあ明日少し多めに走ればいいか」みたいな感じで自分に優しい人になっているのも1つの原因と思う。それに少しとはいえ、運動してるとおなかが減るので毎日のご飯が以前より美味しい。そういうわけで、2キロ減ったあとは1進1退を繰り返している。

 ところが、この1週間右ひざに違和感があり走るのを休んだ。1週間丸々休んだのは初めてだったかもしれない。走れない間、食欲を控えめにしていたらあっけなく、3キロ目がおちてしまった。

 走ることと体重の間の関係ってわりと複雑だ。まあ数値は目安であってそこに縛られる必要はないのかもしれない。


 ところで走れない間風が強く吹いているを読んでいた。箱根駅伝を舞台にした青春ものなのだが、登場人物の1人、右ひざに故障を抱える「ハイジ」さんの造形がとても気に入った。人々を箱根に導いていく大学4年生の人心掌握術に長けた監督。ラストで自分のランナー人生と引き換えに指導者としての人生を手に入れる場面とか、なかなか泣けた。走りたいのに走れないのって辛かろうね、って私ごときがつぶやくのもおこがましいが。

 朝の斑鳩を走っているといろんな人に出会う。もう走れない、おじいさんおばあさんが結構ウォーキングしている。私も走れなくなったらああやって歩くのもいいな。きっと私が本当に好きなのは走ることより斑鳩の朝の空気をすう事なのだから。幸いにも走ることと私の関係は、まあわりと割り切った大人の関係だ。


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