西方見聞録...マルコ

 

 

東方見聞録 - 2008年04月01日(火)

 さて、春休み帰省中のこの日。吉祥寺の夫実家から1号さんとおKさんを請け出して、そんでバスで調布行ってそこから懐かしい稲田堤へ向かった。

 東京都調布市、稲城市、それから神奈川県川崎市の境目に位置する稲田堤はマルコ&あめでおファミリー発祥の地である。ここで1号さんもおKさんもお生まれ遊ばして、1号さんが5歳の誕生日を迎え、おKさんが5ヶ月になろうとしているころ、なんだか西のほうに500キロほど大移動するということになったんである。

 お昼過ぎ、稲田堤の町に着き、商店街をうろっとする。蕎麦屋の名店「丸花」がなくなっていて大ショック。この店で1号さんの3歳の七五三を両実家両親を招いてやったんでなかったっけ?

 町を歩いている乳母車に新生児を乗せた若い夫婦に目が行く。私たちはこの町をほんの10年前まさにあんなふうに歩いていた。

 商店街を抜けて多摩川の支流の三沢川をわたり住宅街に入る。まえ住んでた「文化住宅」に行ってみる。




 相変わらず小さい。でもここでファミリーの歴史が始まったんである。小さくても楽しい我が家であった。泣き赤子の1号さんがあんまり泣くのでまわりの熟年家族のオバサンたちが心配してくれて、ずいぶん野菜とか持って様子を伺いにきてくれたりした。古きよき武蔵野の人情の残る町でござった。

 裏に住んでる大家さん1族のMおじさんがちょうどお庭で布団を干してたので、声をかけるとおじさんとおばさんが飛び出してきておうちの中に招じ入れてくれる。マンゴーアイスやお饅頭が山のように出てきて1時間ほど昔話に花を咲かせる。毎年写真つき年賀状を送っていたのでお互いの最近の暮らしは把握していた。おじさんは定年後ボランティアで大忙しだといっていたのでそのボランティアの話や斑鳩の暮らしぶり、5年前の1号さんの様子など話の種は尽きない。

 その後、3時半、多摩川沿いの稲田公園に行く。ここで1号の保育園同級生Sちゃん、N1ちゃん、N2ちゃんと待ち合わせ。3人とも春休み中だが両親とも普通に仕事をしてるので毎日連絡を取り合って遊んでいるのだという。




 桜が満開の稲田公園のくじら遊具の脇で4人の女子小学生がウンコずわりして何事か語り合う。みんなマルコが話しかけても上目遣いで「はあ、、、」とか「まあ、、」とかしか言わない。君たちいっぱしの反抗期に突入の御様子だが、N2ちゃん、きみは母乳しか受け付けなくって生後6ヶ月で迎えたゼロ歳児クラスの入園時、みんなそれはそれは心配したんだよ、とかSちゃん、4月生まれの君はまだ腰も座らん乳児の群れの中で立って歩いて周辺の父母の度肝を抜いたんだよ、とか思い出話を語りたくなるのをぐっとこらえる。

 夕方から駅前の魚民にて、保育園同窓会宴会。6軒のファミリーが集いました。10年前我すげ保育園の0歳児定員は9名だった。この9名は1号を除く全員が6歳児まで勤め上げ、役員人事もこの9名と1歳児クラスで加入した3名の保護者の中でまわしたんだよな。まことに激戦の新前WM時代をともに戦った戦友との会合ってかんじでござった。(PねえさんとかSちゃん母とかは第2子第3子の母だったのでマルコの30倍くらい落ち着いてたけどさ)

 まあそんなわけでマルコの激しくも幸せな子育て青春期再訪ってかんじの稲田堤訪問の記でございました。



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