Mung akipenda(もし神が望むのなら) - 2007年03月23日(金) スワヒリ語で実現の可能性が見通せないことを語るとき「Mung Akipenda(神がそれを望むのなら)」という慣用句を付け加えることがあります。たとえば遠い国へ帰国する友人に「また会いたいね」といわれたりしたときに返す言葉として適していると思われます。 さて、本日わたくしなぜか、 清水寺にまいりました〜。そんでここでケニア時代の友達と会うことになったのでした。今日会うのはこの日記でもたびたび登場しているOさんの長女Cさんと長男Eさんでした。 今日しか会える日がないのですが今日は二人は京都観光の日。京都から帰ってきてから奈良で会おうか?といわれたのですが「いや京都に行く。午後3時ごろどこに居る?」ときくと「えーっとどこだかわからないけどとにかく寺」と言う答えだったので「じゃあ2時半ころ電話するから、そのときどこに向かってるか教えてよ。そんでその目的地の寺で会おうよ」というなんか楽しい待ち合わせ計画を立てました。 こういう運任せの計画は『絶対あわなきゃ!』と思うとストレスなので心の中で「Mung akipenda」と唱えると気が楽になります。会えたらラッキーもしあえなかったら京都観光して帰ってこよう、って。 で、結局清水寺で会えたのですが、いや〜14年ぶりの再会ですがみんな大人になったねえええ。ひげ生えてるよ>Eさん(マルコがケニアであったときは10歳くらいの子どもだった) 待ち合わせ時間にCさんとEさんとEさんの彼女は少し遅れたんだけど3人とも「遅くなってごめんね!」と盛んに謝る。Cさんは長いロンドン暮らしでEさんも長い日本暮らしで「Mung akipenda」のココロを忘れてるな。でも、あえて本当にうれしかった神様に感謝します。 ところで清水さん、盛んですね〜すごい人がたくさん居ます。法隆寺よりずっと盛ってます。とにかく外国からのお客さんが多い。西洋風の顔ばかりでなく、中国、インド、それからタイ系の言葉がたくさん聞かれたように思います。わたしは待ち時間に中国方面からのカップルとアラブ系の青年と日本の卒業旅行?なお姉さんたちに「シャッター押してください〜」と頼まれました。 こんなに混んでるところで14年ぶりの友達と再会しようなんていい度胸です。アジア系のマルコは圧倒的にアジア系の多い観光客の中で埋没してますから必死でCさんとEさんを探しました。2人ともケニア人なので、ココではまあマイノリティなので何とか発見できました。14年前わたしがマイノリティで2人がマジョリティだったので、いつも2人のほうでわたしを見つけてくれて声をかけてくれたっけな。今度はわたしが見つけてあげる番だと思いました。14年前、外国人だったマルコに優しくしてくれてありがとう。 ...
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