何で私がと思いながら地域統合論 - 2006年09月26日(火) なんかね。ときどきなんで私がこんなことを講義するのかな〜と思うようなお題が非常勤講師先の演目に含まれちゃうんですよね。前任者との兼ね合いだったりするんですけど。来年あたりからさっくり自分好みの演題に取り替えちゃおうとおもいつつ、昨年からちょっと追っかけてるのに「地域統合論」ってのがあります。国民国家の限界説がおおぴらに語られて、なんか楽しいので。 地域統合のもりあがりには2つの波があるんだって〜へえ〜 第1波1950〜60年代の、欧州石炭鉄鋼度共同体の成立とアジアアフリカラテンアメリカが経済発展の夢と希望にあふれてたときの地域連携ブームなんだって。このころは基本的には戦争への反省から、国民国家では戦争の抑止には限界があるから超国家的統治機能が作られるべきって考えから地域統合が進んだんだって。 第2波が東西冷戦終結から現在。経済のグローバリズムの進展の中で完全なグローバル化への中間プロセスとして地域統合、通貨統合、FTA(自由貿易協定)のネットワーク化が進んでいくんだってさ。ふう〜ん。まあそういう状況下、国家を超えた広い範囲で人やモノやサービスや情報の流れが激化して国民国家が相対化されてくるわけだ。 そんでこの地域統合を語る理論は結構現実に追い越されちゃったりしてるんだけど、その中でひとつ面白い理論があったのでご紹介。 [交流主義]とか[コミュニケーション理論]とかよばれていてアメリカのドルチェさんとかが唱えてるらしいんだが、こんな感じ(以下は「国際関係論のパラダイム」初瀬龍平編、有信堂から引用です。) 「国境を越えて移動する人びとのコミュニケーションの量的増大が域内の人々に意識変化を引き起こす。移動するモノ・カネ・ヒト・サービスの増大は相互理解と信頼醸成をよび、軍事力による紛争処理を必要としない安全保障共同体を形成する。国境を越える広い範囲の地域意識はナショナリズムを克服し共同体内での紛争の懸念を払拭する。」 まちょっと楽観的なキライはあるけど、国家より個人の価値が重くなれば「親しいあの人の故郷の人たちとけんかするのいや〜」という気持ちは確かに強まるよね。 国民国家がグローバリズム化の流れの中で、相対化していくことに抵抗して愛国心とか叫んじゃって、国民国家意識のリバイバルをもくろむ人が首相になりそうだけど、もちっと現実的にグローバル化の流れをいかにプラスに作用させるかってのも考えて良いんでないかね。 そういうわけでそろそろ大学は新学期ですね。講師・教員仲間の皆様、そろそろ舞台化粧を始めないとね〜。(ちなみに専門学校はもうとっくに始まってて、舞台度胸がまだお休みモードなのに教壇に立たねばならなくて非常に疲れましたわ、ワタクシ。) ...
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