西方見聞録...マルコ

 

 

石のなかの君 - 2006年07月26日(水)

 あまりネット上ではいわないようにしていたが、前期、マルコの非常勤先の大学<丙>の学生さんはすごいやる気がなかった。何人かの中国からの留学生は非常にやる気満々なのに日本人学生さんのやる気のなさったらなんだかすごいものがあった。

 偏差値の低い学校だったのでこれまでの学生ライフで学校=キライっていう固定観念が出来ちゃってんのかな〜とちょっとマルコもやさグレていた。それなりにおもしろい試みもしたつもりなのだがとにかく空振りばかりしていた。

 非常勤先<甲>の大学も昨年ノリが悪いな〜と思ったけど、ノリが悪くてもとにかくみんな聞いてくれているし、学問を楽しむ雰囲気はあった。非常勤先<乙>の専門学校はとにかくみんな学費の分は取り返すぞ!という覚悟で授業に臨んでる感じで鬼気迫る積極的な授業態度であった。

 でやる気のない皆さんが集う<丙>も学期末を迎え、テストとをし、課題レポートを回収した。

 レポートは「学期中講義で取り上げたトピックから一つ選んで貴方が本を執筆したとします。どのような目次構成になるか、各章の章題と内容を簡単に記しなさい」という課題である。

 適当にやろうと思えば適当に出来ちゃうし、気合入れようと思えばうんと気合の入る課題である。案の定適当レポートが量産される中、1人の学生レポートを手にしてマルコは凍った。

 気合だけではなく質量ともにこれまで受け取ったことがないような高水準のレポートだった。その学生は4年生で就職活動の関係で何度か公欠をとったため、顔は覚えていた。しかし授業態度が取り立ててよかったわけではない。いつもつまらなそうに話を聞いていたし、ときどき寝ていた。ほかのやる気のない諸君となんら変わらなかったように思う。

 彼の中にこんなにいろいろ伝えたい思いや学問への渇望が眠っていたのに、それを学期中は発掘できなかった。それがこのタイミングで堰を切ったようにレポートという形で外へと噴出したのはなぜだろう。


 彼のレポートがどうすごかったかを説明するためにもう一歩踏み込んで背景を説明すると、マルコが今期その大学で担当しているのは[多文化共生論]というちょっとあたらしめの学科だ。文化人類学的な異文化理解を応用した話もするし、マルコにとってはあんまりなじみのなかった異文化コミュニケーション論的な話をすることもある。人の国際移動の激化の中で世界各地で出現している多文化社会がいかに運営されているか、いかな問題を抱えそれに対処しているかなんてことも語る。

 学期最後の授業で、他者に対する集団アイデンティティ認知から個別アイデンティティ認知への転換の重要性について語った。ガイジンという集団カテゴリーでしか他者を認識できないことがステレオタイプ化やひいては差別や偏見を生んでいく。とにかく個人として他者と出会えることから理解が始まる。ということを話していってもわからんのでこんなビデオをみせてこのビデオを制作した日系ブラジル人のルマちゃん在日韓国人のスナちゃんという名前のある個人と出会ってみて。と語って、これらのビデオを学生諸君に視聴させて学期を締めくくった。


 おそらく件の学生は『スナちゃん』と強烈に出会ったのだろう。彼はレポートで自分自身が日本名を名乗る在日韓国人であること、現在の在日社会における日本社会への同化の現状、在日であるために現在の制限されている権利。現在ある冷静な部類の在日社会への批判の検証。といった項目を挙げかなり実証的にしかし確かな筆力で溢れる思いを冷静にレポートとして仕上げてきた。

 読んで頭が下がった。

 「偏差値の低い大学の学生」という集団アイデンティティでしか相手を捉えていなかったのは私のほうだった。きっと他の超いい加減なレポートを出した学生もつながる回路さえあれば、溢れる情熱が学問という形で噴出したのかもしれない。出来の悪い学生を愚痴る前に、回路を開けなかった教師としての己の無力を恥じねばならないと思った。


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