ひとにやさしく2 - 2006年04月24日(月) 大変不遜な話で申し訳ないが、私は今回投稿する論文を複数の先生に見てもらっていた。 いや〜指導の仕方も個性が見える。(すごい不遜だ!) 前回「ひとにやさしく1」で触れた先生はとにかく励ます!「いいよ。おもしろい。」と総論で誉めておいて、その後、電話コメントを70分ほどしてもらった。骨がなくなるかと思うほど、ものすごく具体的に指導された。でも私は自分がこの研究でナニがしたいのか。それをどんな風に語れば良いのか、滅多打ちに指導をもらいながら、すごく、光が差してきた感じがした。その後、第2稿も見てもらった。今度は「すごく良くなってます。もう完成に近いので赤をチョコチョコ入れておきました。このまま投稿しても大丈夫ですが、僕だったらこう書くな、って風に直しましたので、マルコさんの好きなように最終稿にしてください」とやさしいメールの文章に添付された赤入り原稿は、、、、真っ赤だった。 もう一人の先生は「会おう!」といってくれて喫茶店で会うと、「ナニが訴えたいことか」まず私の話を聞いて「こういう要素が抜けてるんじゃ?」「この概念はもっと説明しないとわからない」と、どちらかというと、大雑把に指導してくれる。でもなんか拡がっていく感じがした。次回作はこうなるのか?というところまで見えてきた。先生も「なんかD論の構想は決まったけど、この論文に関しては混乱させちゃったかな?あはは、まあ今は手書きじゃないから大丈夫。すぐ直せるよ。私の時代は4回くらい書き直していやになったよ」と語って去っていった。 また総論でマルコの研究姿勢にのみ疑問をつけて、具体的なコメントをあんまりしてくれない先生もいた。 とにかくおもしろい経験だった。ちょっとトウがたった駆け出し研究者だけど、また論文を書こう。そんでいろんな人に見てもらおう。マルコが訴えたいことは、そのフィールドで現実を生きている人たちのことがテーマなのでうんと大きい声が出せるようになりたい。まだマルコのコトバは意味不明な迷路にはまりがちだけど、みんながこのマルコがテーマにしている「現実」に目を向けてくれるためにはわかりやすくて遠くまで響く声を出さないと、と思う(今はまだ、ぐるぐるしがちだけど)。 それが私にいろんな話をしてくれた「現実」を生きている人たちへの恩返しだし、その「現実」に関わる私自身の役割なんだと思う。 (論文出し終わったところですこしハイ) PS.英文要旨を見てくださったSさま、心から感謝。こんなところにさりげなく謝辞。 ...
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