狸と私〜K脇さんの思い出 - 2005年07月27日(水) 「肉バトン」で想い出深い肉の中に「狸の肉」をいれてなかったので、この最凶の肉について本日は語りたいと思う。 今から14年ほど昔の話じゃ。マムシ生態学者のK脇さんは毎晩マムシ罠をのぞきに竹馬の夜の森の中を走っておった。K脇さんは、マムシを生け捕り、個体調査をし、余ったマムシを夜な夜な私たちの研究室に持ってきて捌いて食べさせてくれるという楽しい性癖の持ち主じゃった。 K脇さんはなぜか自分の研究室にはマムシを持っていかない。 なぜかマルコとその周辺のやくざな人類学者(予備軍)のつどう研究室にマムシを持ってくるのじゃ。(でも生態調査でとって食ってたら、マムシの個体数に影響与えちゃうんじゃん?自分の研究室ではそのへんが問題になるから持っていかなかったのか?) K脇さんは朝早くも竹馬の公道を散歩し、夜中に車に轢かれた動物や鳥を見つけては拾ってきてまたもやマルコの研究室にやってきて「昨日、コジュケイ(雉の一種)を拾ったから、今晩は焼き鳥をするから皆こない?」とやくざな人類学者(予備軍)を誘うのである。 偶然だがK脇さんはマルコの恋人(当時)あめでおさんと同じアパートに住んでおり、あめでおさんの研究室はマルコの研究室のとなりだったので、K脇さんに誘われて何かを食いに行くと、あめでおさんとあめでおさんの研究室のまじめな水文学者(の卵)や地質学者(になるかもしれない人)もなんだか連行されて集まっていたのを覚えている。 ある日、K脇さんは早朝、路上で倒れていた狸を見つけた、しっかりせよと抱き起こすとすでに狸は事切れていた。そこで「今夜は狸鍋だ」と彼の心の中で算段は定まり、マルコ研究室やおとなりの研究室に振れて回った。 マルコは「またか、しかも今度は哺乳類か」とちょっとびびり、修論が忙しいから、と少し逃げ腰になりながらも夜8時ころ、K脇さんのアパートに行った。あめでおさんもその他生態学の方の院生も来ていた。いつもはこない医学部の研究生までいた。狸はさすがに珍しいらしい。 夜8時、まだ狸は解体中だった。哺乳類はやっぱり大変らしい。「肛門のところの臭腺をうまくとれなかった」ということで肉は最凶に臭かった。肉は焼いただけでなく煮て、うどんに入れて文字通り「狸うどん」になった。すごかった。肉に時々剛毛が残っていた。 しばらく血の滴る毛が生えた肉を食べろと勧められ、逃げても逃げても追いかけられる夢を見た。単に肉を食うだけの行為なのに、なんだかトラウマっぽく心に残った。 その後研究室の雑記帖に「道で狸が倒れていたのでOOOしました。」という文書が書かれ、みんなで穴埋め問題の様にOOOの部分に適切な言葉を書いた。OOOのところに「狸うどんに」といれる人が多かったが、普通、人として「埋葬」とか「介抱」とかではないのかと後輩に責められた。そのときはじめて人としての理性を思い出したが、まあ牛にしろ鳥にしろ生きてるものを殺して食ってるってことで、と「人としての理性」は「動物としての宿命」の前でかすんだ。 K脇さんはその後「カドワキくん」という漫画のモデルになったといううわさだが真偽の程は定かではない。現在も元気に某大学の演習林で教官をして何かを拾いながら(捕まえながら)生きている。当時の仲間たちは現在でもK脇さんの話になると3時間は宴会が盛りあがるのでK脇話芸を全国各地で磨いている。うちなんて夫婦でK脇さんの話になろうもんなら、お互い、とまらなくなることもある。 時々ああいう輪郭が(妙に)濃い人がいるもんじゃ。マルコ23歳、K脇さん37歳の秋じゃった。 ...
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