西方見聞録...マルコ

 

 

3歳と7歳と8歳と13歳でした。 - 2005年05月24日(火)


今週、ちょっとだけ息が抜けたので、奈良県の先生たちがやっている外国籍児童の学校での受け入れに関する勉強会にオブザーバー参加してみた。
そのなかで中国残留日本人孤児の孫にあたる少女の日本移住とその後の暮らしを等身大で淡々と語る作文が本人によって読み上げられた。ついで中国残留孤児として国家賠償訴訟を係争中のもと残留孤児の老人たちが自らの体験を語るセッションがあった。今学校にやってきている残留孤児子弟の来日の背景を理解するためだと思う。

数名の元残留孤児の人がすわり、中心となる語り手さんが「中国残留日本人孤児」国家賠償訴訟大阪原告団の弁護士を聞き手にとつとつとその体験が語った。

 大地の子がドラマ化されたり、または親戚の引揚経験者の体験を又聞きで聞いたりして、なんとなく情報のあった「中国残留孤児」の体験談とは言え、本人が語るそれはなんだか凄かった。

 強行軍の中、母の背中におぶわれたまま餓死する弟。まだ暑い時期にみんな夏物の着物を着て始まった逃避行が冬の極寒の収容所の暮らしで暗転するさま。弟と妹に食料を分けて餓死するやさしかった姉。子の死のたびに嘆き悲しみやがて自分も死んでいく母。母に残された幼い姉妹を託されながら失踪する兄。死のうとして生き残った幼い姉と二人、収容所の外に出てめぐり合った中国の養父母。与えてもらえた小学校教育を元に必死で努力して得た農業共同組合の会計職。結婚。幸せな日々。すべてが暗転する文化大革命。革命の迫害の中の妻の死、養父母の死。日本帝国主義の批判を一身に浴びて自己批判を強いられる日々。応えぬ祖国。そしてようやく実現する帰国。再適応の苦悩。子どもたちの教育をめぐる葛籐。そしてあまりにも冷たく無理解な日本社会。やがて訴訟を決意するがそれへの新たなる非難中傷。

 話が終わり、退席するときずっと黙ってきいていた孤児の人の一人がマイクをまわしてもらい一言いった。

「そのときわたしたちは3歳と7歳と8歳と13歳だったです。」

 その声を聞いてはじめて実年齢よりもずっとふけて見える老人たちの後ろにあどけない彼らの子ども時代の残像が浮かんだ。そんなにも幼くして国家と国家のはざまでいかなる権利も剥奪され、一方的に与えられた苦難の中を生きることを強いられたということがはじめて実感できた。

 国家と国家のはざまで祖父母世代が奪われた教育の権利をその子やその孫の世代での日本再適応の過程で再び奪ってはならないというメッセージがとても強く響いた。





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