西方見聞録...マルコ

 

 

タイムカプセル - 2003年12月10日(水)

 本日、母校の高校の修学旅行が法隆寺を訪れるという。

 母校はえらく気合の入った京都・奈良の修学旅行を敢行するので有名な学校だった。私が高校生の時代は7泊8日も京都・奈良のあたりを回遊し、まる2日間、班行動が設定されており、かなりディープに京都・奈良と仲良しになれた。

 さてその母校のご一行様が本日9時半に法隆寺の門をくぐられたわけだ。修学旅行期間は5泊6日と微妙に短縮されていたが。

 今日行くよ〜。と連絡を下されたのはタージマハール先生(仮名)である。タージマハール先生(仮名)はマルコが大学4年の時、母校で受け入れてもらった教育実習の指導教官である。当時マルコは鼻っ柱だけで世の中何もわかっていなかった22歳で、タージマハール先生(仮名)もうら若き26歳(推測)の若手教師でなんだか、お互いきらきらと輝いてた青春の日々を物凄いハイテンションで共有させていただいたのである。

 教育実習の4年後、マルコ26歳でタージマハール先生(仮名)30歳(推定)のときに新宿で地中海料理をおごってもらって以来、本日は実に10年ぶりの再会だ。
 いやいやいや、お互いに10年の風雪に耐え、なかなか苦みばしったいい女になっておったよ。10年前はまがりなりにも2人とも独身だったが、現在は揃って2人の娘の母親になっておった。

 さて、マルコは今朝、いつものように大混乱で子どもらを保育園に預け、法隆寺に急行した。法隆寺境内では母校の学生さんらが自由行動で法隆寺を見学しているなか、苦みばしったいい女のタージマハール先生(仮名)を発見。お昼前までの約2時間自由行動だということなので、マルコは日ごろあめでおさんが垂れている薀蓄をもとに、法隆寺まめ知識なんて披露しながら、約1時間、タージマハール先生(仮名)と法隆寺内を散策した。

 こどもが病気の時の預け先の確保とか、来年春揃って小学校に進学するそれぞれの長女の話とか、アフリカ関連の仕事をしている同窓生の話とかとにかくいろいろ話す。もう話したい事が山のようにあり、しかし時間はあまりにも限られていたので文脈も何もあったものではないのだが、逢えて話せることがうれしいのだからこの場合いいのだ。

 マルコ高校時代の部活動の顧問の先生T口先生とか、高2の時の担任のM野先生とかにも法隆寺境内で再会。突然大昔の教え子が法隆寺境内に出現したら驚きだろうが、そのへん彼らは大人である。まあ、いろんな教え子がいるのだろう。18年ぶりだったり、14年ぶりだったりしたが、どちらの先生も年をとりながらあのころの空気を変わらずに身に纏ってる感じがうれしい。

 本日は神戸で授業&エンドレスゼミの日なので短い再会を終え、マルコは神戸へと出発した。

 神戸への道中、電車に揺られながら、堅く1つポジションを守って激しくも充実した日々を送っているタージマハール先生(仮名)のことを考えた。私立高校世界史教師というポジションはアフリカから帰国した直後のマルコが激しく憧れたポジションだ。もちろんその憧れのロールモデルは22歳の時に出あったタージマハール先生(仮名)その人であったのだが。

 一生いくつかの現場を転戦しなければならない開発協力の仕事への疲れとあめでおさんとの結婚生活の維持のために私は日本に定着する道として私立高校世界史教師に激しく憧れた。実際、この時期、東京のある高校で2年間世界史の非常勤講師をしたりもした。しかし結局はノマドな開発関連の仕事へと私は戻っていった。あの時の夢がかなっていたなら、また違ったしあわせな格闘の日々があったのだろうか。

 マルコが40歳になるまであと4年ある。まあ、あと4年間は惑っていいのだ。孔子様もそういっている。

 

 
 


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