西方見聞録...マルコ

 

 

お宝ごろごろ - 2003年02月02日(日)

昨日より夫両親が東京より来訪。
大阪での同窓会出席後、我が家に一晩泊まって、
今朝、伊賀上野に旅たつ。上野の空家になってる
夫父実家を片付け(6月に家を壊す予定)にいく。
まあ旅の途上で息子夫婦の家に一泊&孫と戯れるというなかなか愉快な企画
の一環ですな。
わたしもハッピーリタイヤメント後にぜひやってみたい企画である。

朝9時、夫両親を送ってJRの駅まで家族でお出かけ。
その後町立図書館へ行くが開館時間が10時からということで
図書館の2階部分にある「藤ノ木古墳」資料室をみて
時間をつぶす。

藤ノ木古墳は法隆寺から役場に行く道の間の
野原にごろんとある。
聖徳太子の生きた時代の支配者の墓で青年と男性(年齢不詳)の2人が
同じ棺に葬られ、その副葬品の豪華さはそりゃそりゃすごいものらしい。
でもそういう「国家レベルのお宝」はぜーんぶ橿原考古学研究所に持っていかれて
現場には石棺のレプリカがごろんと置いてあるのみ。

副葬品も図書館2階の資料室にレプリカあってまあ解説はあるけどすごーくあっさりしている。
もし藤ノ木古墳がこの町以外のあんまり名産品のない町で出たら
絶対町おこしの起爆剤になったであろうに。
しかしこの町には生きて活動している至宝、世界遺産の法隆寺が
いっぱい観光客を連れてきてくれて
いっぱいお金を落としてくれるので
藤ノ木古墳はごろんと置かれている。

藤ノ木古墳は誰の墓か不明。
1説では祟峻天皇の墓といわれてる。
どの天皇だかわからないって?
ほら、日出処の天子で暗愚の帝王として好きなように書かれていた
泊瀬部王子ですわよ。

墓まで聖徳太子の影になって輝けないとは。切ないですわ。

ところで生きて活動している聖徳太子のお寺、法隆寺で
3日夜「追儺式勤行」がある。
早い話、節分の鬼追いだがこれがまたキテいるらしい。
当日はあめでおも早退して家族で参加予定。
3日の報告、乞うご期待。






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